平泰寺 板碑 蔵田房信位牌 供養塔
(平成31年 東広島を見て歩く会 コース)東広島市西条町寺家
概要 臨済宗妙心寺派。山号は豊崎山、本尊は聖観世音菩薩、本尊は行基の作といわれている。開基は詳かでないが、治承年中(1177~81)の草創といわれ、又大永年間(1521~8)鏡山城代蔵田備中守房信が中興したと伝えられ、又後荒廃したという。宝暦七年(1757)広島興禅寺の住職の法孫定田が入って再建した。(東広島の石造物東広島郷土史研究会版)
平泰寺阿弥陀種子板碑 (へいたいじあみだしゅじいたび) 年 代 南北朝時代 暦応二年(1339) 形 状 花崗岩 高さ98cm 横30cm 縦15cm形 式 整形板碑 種 子 キリーク・阿弥陀如来(荘厳体) 銘 文 暦応二年 行□ |
平泰寺一石五輪塔 (へいたいじいっせきごりんとう)年代 不明 形状 高さ76cm 横24cm 縦25cm 銘 文 無銘 |
蔵田備中守供養塔
(くらたびっちゅうのかみくようとう)
|
所在地 東広島市西条町寺家
年 代 室町時代 大永三年(1523) 形 状 花崗岩 高さ113cm ヨコ50cm タテ20cm 大永三年六月二十八日 概 要 蔵田備中守房信は西条を本拠とする武士で、
実名を房信といい、周防大内の代官として
鏡山城に在城していた。大永三年(1523)六月、
出雲尼子氏に鏡山城を攻められ、善戦したが
味方の裏切りにあい、他の城兵を助けるため
に切腹したと伝える。
この碑は元は西条東の田の溝に掛かって橋に使われていたが
ここ平泰寺へ移された。
|
蔵田房信 供養塔 |
0 件のコメント:
コメントを投稿