2020年1月25日土曜日

令和2年1月例会が行われました。

令和2年1月25日
月例会の報告

 場所 東西条地域センター
 日時  1月25日13:30~

研究発表Ⅰ 「大宮神社調査3 棟札」今田 幸博氏
研究発表Ⅱ 「八本松開拓団の歩み」小田 正之氏
連絡/相談コーナー 蔵楽会長


大宮神社調査3 棟札」今田 幸博氏


  志和町 大宮神社の宝物庫である宮蔵の中に、17枚の
棟札(箱の破片も含む)が収蔵されている。     
  大宮神社自体は創建以来何度も火災に遭い多くのものが
失われたが宮蔵は、離れた場所に建っているので焼失を免れ
収蔵品は現在まで伝わっている。            
  多くの経典や懸け仏など神仏習合の.時代の名残の品々が
櫃に収められたままその櫃ごと文化財として価値を持ち多く
の収蔵品を守ってきた。                
 中には祭礼に使った道具や文化財指定の証書などありとあら
ゆるものがあった。                 
  東広島郷土史研究会志和会は東広島市教育委員会と相談して
これまで調べてこられなかった文化財指定の経典類以外の収蔵品
を時間をかけてじっくり調査することにした。        


宮蔵自体が文化財となっている。

収蔵されていた棟札

判読されたもの
特に判読したといっても赤外線カメラで判読したわけでは
ありません。目視や写真に撮り判読しました。     




「八本松開拓団の歩み」小田 正之氏

昭和20年  農地開発営団が主体に旧原村陸軍演習場跡の開発に乗り出す。
昭和21年4月 原村開拓団結成、戦災離職者22世帯、海外引揚者19世帯など
合計69世帯仮宿舎は旧軍兵舎利用、入植者以
外に広島・呉などの戦災者89世帯も同居、35
haにイモ類・蔬菜類を作付。       

昭和21年7月 オーストラリア軍が接収を宣言12月までの立ち退きを要求入植
者31世帯とその他27世帯は広島陸軍兵器補給廠
八本松分廠跡の使用許可を受ける。12月までに
移転完了。                
昭和22年1月7日 八本松開拓団/「向原農事実行組合」結成、開墾・営農・農
村工業の一体化を目指す。         
4月 瓦製造部スタートするが、操業三か月で事業見直し
(瓦の土が不適・技術が未熟)
和傘製造部(番傘の紙張り・油塗りなど)が
授産場として県が補助、転職も多く、2年で
廃業。                 
昭和23年 再度黒瓦製造、沿岸部で販売、機械と整形圧縮機導入。    
昭和24年 向原開拓農事実行組合解散、八本松開拓農業協同組合設立。農地
法に基づき、21名が開拓地配分買い受ける。    
昭和25年 各戸1頭の役牛を目指し小牛7頭をいれる。資料不足、飼育技術
不足で中止<朝鮮戦争始まる>          
昭和26年 7戸が煙草栽培を始める 1戸が継続。桃の苗木を植えるが商
品化できず。                
昭和27年 落ち葉で堆肥作り、スイカの生産(20t/日 生産。八本松ス
イカの名声を得るが過剰生産で中止)      
養鶏100~1000羽のケージ飼育。       
川上農協管内50,000羽飼育で生産過剰で中止。 
昭和30年 黒瓦の製造中止、他社工場進出転職者が増える。      
昭和31年 ブルドーザ―による、機械開墾。   
養豚始めるが2年で中止(悪臭公害で)      
昭和48年 八本松開拓農業協同組合解散               












連絡/相談コーナー
1.令和2年歩く会のコース 実行委員会1月27日13:30からコジマヤ2階で
2.臨地研修委員長交代と春の臨地研修予定。大山寺・大神山神社・上淀廃
寺・妻木晩田遺跡。                      
3.新年度総会 4月18日(土)東西条地域センター。         
4.令和2年郷土史展 2020年12月8日~15日 くらら市民ギャラリー。
5.2月例会 2月22日(土)13:30~ 市民協働センター。      
発表1.岩の山遺跡の板碑 近藤孝美氏
発表2.木原家 三嶋 昇氏     

 




2020年1月22日水曜日

山城探訪会の新年総会と入野布多都八幡神社・厳島神社、高屋東 入寺滝~滝城跡

山城探訪会の新年総会
日時:令和2(2020)年1月22日(水)9時~15時
集合:白市観光駐車場
場所:白市交流会館
参加者:19名

 9時白市交流会館に集まって本日の予定を吉田氏から説明をうける
5台の車に分乗し、布多都八幡神社(東広島市河内町入野恵能田)・厳島神社(東広島市河内町入野初湯川)にむかう。
 この神社は県指定天然記念物社叢 鶴亀山があり、鶴山に鎮座するのが布多都八幡神社・亀山に鎮座するのが厳島神社です。

布多都八幡神社(東広島市河内町入野恵能田236番地)
鶴亀山ふもとには天然記念物 社叢

鳥居

アラカシ 高木層にアカマツ、モミ、スギ、ヒノキが生え。中層にアラカシ、ツバキ、
サクラ、モミジ、ツルやカズラも加わり。低木にツツジ科の植物が多い、草本層には、
イタドリ等がある。一部貴重な植物が育成していて、社叢の重要性を為めている。  

随神門(随身門)神様から見て左右をいいます。

随神 左大神木造(左大臣とも)

随神 矢大神木造(矢大臣とも)

やっと登った急な坂道の向こうには長くて急な石段が

長い急な石段を登って本殿と拝殿が建っていました。
鶴亀山の前には楕円形の田圃がありました。
ここはもとは馬場でした。
競馬が行われていました。
廻馬場跡

廻馬場落成記念碑

鶴亀山の山肌には競馬を観覧した桟敷の石垣が残っていました。
山腹の真ん中に石垣が見える

厳島神社(東広島市河内町入野初湯川)

厳島神社 本殿と拝殿

カリンと背景に鳥居

厳島神社 本殿

源三位頼政公の鵺退治の絵馬がかかっていました。

境内にはつぼ型の手水鉢がありました。
珍しいですね

二つの神社の参道には二本の注連柱が立ちます。






注連柱の文字は、従一位勲一等侯爵浅野長勲公の題字でした。
広島藩最後の藩主であり藩知事でありました。
昭和まで生きた「最後のお殿様」として知られた方です。

神社と社叢を見学した後
入野に松葉氏の墓所があると聞いて
見学に行きました。
河内町入野に造られた平成の前方後円墳は松葉博雄氏の

飯田米秋著の賀茂郡史からこの地を選ばれたようです。


 高屋への帰路 道沿いの入寺川にある滝を見ました

 入寺川沿いには滝城がありますが
山が荒れているので入山できませんでした

山城には登れませんでしたが
麓で記念写真

 白市交流会館で
総会をし滝城や松葉氏の前方後円墳の話をしました



総会では今年の訪問先と
活動内容の2つ以下の話など行いました