2018年9月30日日曜日

三十番神社 東広島市西条町御薗宇 十文字 島本仁左衛門

三十番神社(さんじゅうばんじんじゃ)

新しい祠なので目立つのでつい撮影し、どんな祠か調べてみました。
名称は三十番神社と言います。
ここはかつてあった十文字(じゅうもんじ)開拓地です。

島本仁左衛門 正保3(1646)年 藩庁からの直命をうけ西条町御薗宇十文字 開墾奉行に着任、里人が開墾に専念できるよう、諸役の免除・租税の特典など願い出て許可を受けさせるなど、あらゆることを行い開墾を完成に導いた。今も地元の人々からは開拓の恩人として敬われている。

三十番神社の特徴は、かつてつかわれていた太陰暦のときは、ひと月は30日でしたので30柱の神様を祀り、毎日拝む神様がちがっていて毎日遥拝するというものです。
記録によると最澄比叡山に祀られたのが、最初ではないかといわれています。
中を調査した東広島郷土史研究会員によると30以上祀ってあったということです、これは太陽暦になり31日もあるのでそれに伴い勧請されたためだそうです。
毎日遥拝するということのは変わらないということです。
個人の敷地の中みたいなところに建っているので
横のお宅にお断りをした方が良いです。
東広島ユーホーの真裏です。

プレスネットに掲載された記事

祠の中をご厚意で見せて頂きました。
中には随神と思われる像やお釈迦様が生まれたばかりの様な像も拝見できます。
左下の像は恵比須神の様です。
並んでいる神像の名称

十文字地区の南端に30神社を建て悪いものが入らないようにした。










2018年9月26日水曜日

崩れかけてるお堂発見

東広島市豊栄町に用があって帰り道、違う道を通ってみたら

道路沿いの山に
はんやがみえて、あんなところに
はんやがあると
通り過ぎた


すると六地蔵がみえたので撮影しました

もしかしてあのはんやはもしかして
お堂だったのかな
奥の方に座像がみえました。
お堂だ!!
天井板は外れて垂れていますが
まぎれもなく
お堂です。

ちやんと六地蔵様と
お堂がならんでいます。
正面からもできるだけ大きく撮影
崩れかけブルーシートに
守られた座像でした


2018年9月23日日曜日

タンチョウヅルの鏝絵



会員の岡下誠司さんの鏝絵作品が増えました。
広島マイスターの岡下さんは各地に作品を残しています。

まず下書きから

下書き

一羽一羽丁寧に仕上げていきます

丁寧に魂を込めて仕上げます

玄関を入ってタンチョウヅルが
お客様を迎えてくれます。















2018年9月22日土曜日

2018年9月例会がありました

東西条地域センターで13時30より行われました
写真をクリックすると大きくなります


安芸津紹介

安芸津を写真で紹介

豪雨災害の記録


各駅から代行運転


ボランティアセンターで並ぶ人々

歴史クイズ この寫眞の場所はどこ?」
説明を追加
 神機隊ものがたり絵本つくりました

神機隊物語絵本できました

吉本正就副会長 東広島郷土史研究会製作の神機隊物語紙芝居を絵本にされました。
一部ご紹介します。

1.表紙
表紙
2.まえがき 木原秀三郎と神機隊
まえがき
3.木原秀三郎の少年時代
4.西洋式砲術修行を決意する秀三郎
5.勝海舟塾で学ぶ
6.応接方となった秀三郎
7.農兵隊の設立を建議(藩に伺う)する
8.隊員募集
隊員募集
9.和田山(七条椛坂村)、大行司原(奥屋村)などで訓練
10.備中・備後に出兵する
11.江戸(現東京方面)に出兵する 神機隊は自費で出兵 300名が出発
12.上野戦争 彰義隊と戦う
13.浪江の砲台戦
福島県 浪江の戦い
14.高間省三 砲隊長
高間省三 砲隊長 穂高健一氏の小説「二十歳の炎」で
取り上げられ全国的に知られることになりました・
15.救荒米の返還(戦闘も終息にむかう中、仙台城入城前の頃)
16.仙台城入城
17.今でも地元に伝わる藝州兵(神機隊)の話

今でも地元に伝わる藝州兵(神機隊)も話
18.木原秀三郎の晩年 私立広島英学校をつくる 
  現在の広島女学院のもとのひとつになる
19.20.資料集
21.22.附則資料および資料
23.24.当時の関連施設の跡
25.大正頃の西志和地区の地図
36.おわりに あとがき
あとがき
37.裏表紙 行進図




2018年9月20日木曜日

2018.9月 東広島郷土史ニュース9月号 529号

2018.9月 東広島郷土史ニュース9月号 529号

目線を少し上げてみよう!9月例会概要報告 西日本豪雨被害を記録する 7月例会発表要旨 西条四日市のライフライン 大内氏滅亡之次第 山城探訪会発表者 
※画像をクリックすれば大きくなります




2018年9月16日日曜日

大日堂がこうなりました


古代山陽道の推定コースにある
大日堂がこんなになりました。苦肉の策なんでしょうが。
ちょっと灌漑深いものがあります。

新しい大日堂


建て替え前の大日堂

あっ!神社がなくなってる。


西条町寺家 厳島神社

建物が無くなって更地になり草がはえてます。以前強い台風19号が東広島市でも甚大な被害を及ぼし、屋根が飛んだり停電、断水があった。
そのとき厳島神社も屋根瓦の被害などあり、応急の処置もなされた
その後。建物は近年になり立ち入り禁止となっていたが、ついに建物は解体撤去となっている。


建物が無くなってる?




境内には道しるべもある

かつてあった鳥居のものか
新しく本殿用の基礎とも思える石造の段があるようだ、建て替えされる予定はあるのか?
在りし日の厳島神社(2013年5月3日撮影)
厳島神社境内

屋根の庇の痛みがあるようです

天井がかなりいたんでいます

幣電もあり本殿は石垣の段が築かれ田植えに
建てられています

本殿用の新しい段でしょうか