2021年1月16日土曜日

牛満長者の屋敷跡と糘塚

 西条町に伝わる牛満長者伝説、光田さんが発表された牛満長者に関する発表で井野口病院横に長者伝説に関する場所があるということで、菅野さんが郷土史ニュースに寄稿されたことから拾いだしたもので、菅野さんに訊ねたところ、場所ははっきりとわからないということで、文化課の吉野さんにお尋ねしたところ教えていただいた。

井野口病院の奥の駐車場あたりが、牛満長者の屋敷跡で、城の土居館跡という芸藩通史に掲載されている記述によりそくりょうしたものです。

北面には堀の跡が残っている。図面の中央部に、米粒のような形の場所があるが、ここが糘塚(すくもづか)で、あるそうです。
Googlemapで見ると次のようになる。赤丸の場所が糘塚です。
※GoogleMap引用 中央の赤丸で囲んだところが糘塚
実際の場所を撮影してみた。
糘塚(すくもづか)
この写真が糘塚です
堀跡
中央の低い部分が堀の跡です。右の駐車場に成っている高いところが、城の土居館跡です。

左の高いところが城の土居館跡、右の低いところが堀の跡

赤瓦の屋根の家と右のスレートの屋根の建物が城の土居館跡に建っている
敷地は全く発掘されていない。現在の情況を実測したのみです。





2021年1月13日水曜日

志和西の出口地蔵堂に行ってきました。

 以前より、志和西界隈を県道を走っていると。一本の立札があり出口地蔵堂とあり、簡単な経路案内がありますが、いっこうに辿り解けない。吉本さんにおききし、志和中学から500mくらいときき、ぐるぐると地域を車でまわっていて、第一村人ならぬ働いている方を発見し、訪ねたところ、目前までたどり着いていたことが判明。


そして、建物の陰に立派に立っているのがこのお堂でした。

銅板葺入母屋唐破風の格式の高い造りの屋根で、高欄までまわしてありました。

なかなか立派な造りです。

格子の中を覗いたらお地蔵様が安置されていました。

判り難いので早速GoogleMapにスポット登録、興味のある方はGoogleMapで位置をナビしてもらってください。ここは地域の重要な道路であったと聞いてなるほど


2021年1月10日日曜日

令和3(2021)年1月東広島郷土史研究会ニュースNo.557号を掲載しました。

 西国街道・松子山峠大変貌「エコパーク」出現 コロナ禍のもと役割果たす、新年の御あいさつ、とんど 実態調査 12月例会概要報告、新宮神社・磯部家文書、「賀茂学園都市建設」物語(4)、11月例会発表要旨 ヒロシマとベトナム、土与丸・助実周辺の史跡について、安芸津町 三津と風早の文化財巡り 第52回山城探訪会、

●1月例会のお知らせ

 中止

◎グループ研究会

 ・第251回古文書研究会 とき1月26日(火)13:30~ 市民協働センター

  テキスト 大水くどき②

 ・巨樹・植物研究会 12月~2月お休みです。

 ・第150回石造物研究会1月26日(火)9時~12時  市民協働センター

 ・第146回四日市町並研究会1月21日(月)13:30~ 歴史広場吟古館

 ・山城探訪会 1月は お休みです。

 ・第76回原爆資料保存研究会1月21日(木)14:30~市民協働センター

◎地域研究活動 各地域お休み

◎1月の図書室開放 1月15日(金)13時~15時










2021年1月7日木曜日

新年登山が令和3年(2021)1月7日福成寺でありました。

 午前10時福成寺しました。

本堂の中で、読経を唱えお参りしました。

寺の縁起によると開基は奈良時代神亀3(726)年頃福納寺が前身で弘法大師が佳き堂地あり寺を移すべしと仰せられ現在の地に寛仁年間に移転。

中世期31宇の諸堂と42坊、北山12坊を数えるほど隆盛を極めた。

その一部をめぐってみた。





手前トチノキ。奥に夫婦杉

橋と本堂

落雷で燃えた夫婦杉

本堂

九品堂の
中の阿弥陀仏

国指定 重要文化財の厨子と須弥壇

福成寺現境内堂宇と嘗ての坊と堂宇跡




イザ、山巡り

鐘楼

三重の塔跡にむかう

三重塔跡


土塀が残る岡坊跡

奥に東坊、手前に十玄坊

奥に広大天文台、絵前の山に積石墓が点在

火葬した後に.積まれた石積墓

石積墓

広大 東広島天文台


天文台.駐車場下に
田坊があった

落雷で伐採した夫婦杉が集積されているあたりに
大坊があった。



下山したあと宝物殿の見学



銅鐘

菖蒲前の遺品

三戸家系図

木製狛犬

後醍醐天皇綸旨

御村上天皇綸旨

綸旨の解説

帰る頃には池の氷に雪が積もっていました。