2020年8月22日土曜日

令和2年(2020)8月例会

時別講演会

1.開会挨拶
4月の総会で講演を依頼していた、広島経済大学非常勤講師、広島国際学院大学学術研究員ほか
2.棚橋久美子先生による。
「四日市の町の歴史」
当日の資料をもとにあらかたを纏めた。

1)宿駅四日市の成立
  16世紀後期には政治商業の中心地となっていた。
  近世1630年代の街道整備時に西国街道の宿駅となる。
2)宿駅の機能を果たす
  ・休憩所の提供:18世紀後半80~100軒、幕末には.訳130軒
  ・伝馬の15匹常備:文政12(1892)年に、馬1357匹、人足10316人
  ・飛脚の常備:文久2(1862)12月25日~27日に39人の飛脚
3)四日市の発展と衰微の様相
 〇発展の様相
  ・18世紀中期 町並が半尾川を越え、西条東村まで続いている「行程記」
  ・「駅所市場の浮儲け」で渡世ができる場所として「他村より諸稼の為罷越、裏借家
    等に住んだりしている。」
   竹内家文書より
 〇衰微の様相
  ・寛政・文化頃、度々出火焼失、洪水、風難、虫気等不作打続き商儲も少なく、田畠
   売り払い空き家も多い。宿賃では掛が多く、値切ることもあり。やっていけない。

4)幕末期の街並 図1
 1)次郎丸村 衰退し、町役人は諸大名の宿泊を断ることも考える。
 2)一晩に対応できる公用宿泊数 700・800人~1000人

  第一次幕長戦争に西進する幕府軍12000人を6日にわけて宿泊。
  四日市宿で宿泊できるのは700・800~1000人キャパを超えている。
  郡内村々から.借用する品々のリストを作成必要経費計算(竹内家文書)
 3)小倉屋での公用宿泊
    石井家文書 多くのまとまった資料群 東広島市所蔵.
    ○小倉屋 寛政7(1795)年建築 宿泊で提供できる畳数44畳、本陣を除き
     宿駅内で4番目の規模
    ○宿泊者野実態 ・身分 本陣脇本陣を利用出来る階層の次の階層の武士。
            ・平時と戦時の宿泊者。
    ○近世の小倉屋の生業は、薬種店.レンタル業 宿泊者へ提供した食事の献立
     や食材の記載あり。
    ○確認できた江戸期の酒造
     酒造株売却、預けて儲ける・石井家文書
     郡内の悪米を集めて酒造にする・竹内家文書
 
戸口と人口の激減 明治18(1885)年から明治24年の6年間で戸口と人口が30%以上減少したことが判明。

 福美人酒造で酒蔵会社で時代は下がるが創業前から今まで全ての帳簿を確認できた。

棚橋久美子先生

聴講様子

参加者の様子
 3.ワンポイントアドバイス 天野l浩一郎
東広島の遺跡・文化財の解説
阿岐のまほろばより

阿岐のまほろばより

阿岐のまほろばより
4.連絡・報告
 県史協大会11月14日(土) 豊栄 賀茂北高校
5.9月例会 9月26日(土)13:30~ 下見福祉会館
 研究発表Ⅰ 國松宏史氏
 研究発表Ⅱ 「宇喜多直家に嫁いだ平賀家の娘」 皆木佽耿氏

6.閉会挨拶


2020年8月19日水曜日

広島に75年は草木もはえぬといった説の経緯

広島に原爆が投下されて2020年(令和2)8月6日で75年よく耳にしたり目にする話

75年草木も生えぬといったことば、 でも、立派に復興どころか発展している被爆地広島。 いったいだれがどういった経緯でいった説なのだろうか。 気になるのでちょっと調べてみた。 検察してみるとひとつのPDFがみつかった。
 http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hbg/file/12141/20170601143502/kr02-02.pdf 

 URLからみると、広島大学のURLだ。興味のある方はダウンロードして読まれることを お勧めしたい。 被曝の. 実相という観点から、爆心地 500 メートル内の「奇跡の生存 78 人の記録」を 40 年以上に. わたり取り組んで来た広島大学名誉教授鎌田七男博士 ( 元広島大学原爆放射線医科研究所長 )と書かれている。
 そのPDFによると「原爆製造計画である所謂「マンハッタ ン計画」(Manhattan Project) に関わったハロ ルド・ジェイコブソン (H.Jacobson) 博士の談 話として 1945 年 8 月 8 日付けの < ワシント ンポスト (The washinton post)> 紙上に掲載 されたものである。 
 ところが、この日、アメリ カ陸軍省 (United States Department of the Army) は同じ「マンハッタン計画」を主導し た J.R. オッペンハイマー (Oppenheimer) 博 士の発言を引用して同記事の内容を否定し、ま た同時にジエイコブソン博士も自身の発言を取 り消した。なんとも不可解な経緯」と、書かれている。
  まあ、説は唱えたものの、取り消したものらしい。 いずれにせよ75年どころか、被爆した台地には、世界的な都市広島がある。 しかし被爆者の肉体的、精神的な傷は75年経った今も、癒えることはない。
  広島市内で工事をしていると、地面の下から多くの遺物が見つかることがある。 なかには、寺だった場所から大量の墓石が見つかることがある。 この数年、平和公園内を発掘され、被爆当時の広島市内の様子が垣間見られている。 平和公園内の森の中に、こんな場所があった。
撮影は2016‎年‎5‎月‎30‎日にしたものです。
解説板によると「慈仙寺内にあった広島藩浅野家の御年寄 岡本宮内の墓で笠にあたる相輪が飛び崩れたもの」とあります。



ここで、ガイドさんがこどもたちに、公園に掘られた穴の中に立って、案内されてきたこどもたちに。「ほらみなさん、ここに降りて立ってご覧、この地面が昭和20年8月6日の原爆が落とされた時の大地なんだよ、何か聞こえますか?何か感じますか?」
このブログを見てくださった方、是非平和公園で、この場所を実際に見て感じてください。
東広島郷土史研究会 原爆資料保存研究会

2020年8月14日金曜日

志和町で見つかった教科書と写真

貴重な教科書


ある記念誌を作成する為、資料を収拾している。学校で使われてきた古い教科書が見つかった。尋常小学校で使われたものです。
志和の東尋常小学校は明治27年に宍戸家の裏に設立された。
その学校で使われた教科書の一部が宍戸家に保管されている。当校の教員をされていた宍戸チトセ氏が使用したものと考えられる。全部で16冊ある。その中にユニークな本「地球四字経」があった。明治6年7月発行のものである。

宍戸家にある16冊の教科書

地球四字経の概要

地球四字経の概要

内容は地球を4文字のお経にまとめて、地球の大きさ、国名、都市、文化、産物などを教えている。生徒達が繰り返し読経に励んだことを思う時、学校制度が始まったばかりで、片ぐるしい時代と思っていたが、この様な教科書が存在した事に驚きました。


宍戸家にある16冊の教科書


宍戸家教科書一覧
先程の宍戸家の教科書の件、他に、この時代より以前の写真がある。
明治18年3月13日、午前11時に撮影したもの。(撮影時間まで記録に残るのは貴重である)
この写真の学校は先程の東尋常小学校より以前の簡易小学校当時の物と思われる。
写真は2枚残されているが、この写真だけが確認出来るものである。



記:吉本正就

2020年8月8日土曜日

令和2(2020)年8月東広島郷土史研究会ニュースNo.552号を掲載しました。

令和2(2020)年8月東広島郷土史研究会ニュースNo.552号

内容 安芸津干拓/近世芸備の俳諧 7月例会概要報告、教順寺文書『御国法諸書附控』刊行-古文書の意義・読み取れる世相-、「芸州藩 隠れ城ものがたり八条原城」発刊にあたって、大沢田池の成立ち、豪商 木原一族の足跡 パートⅡ、西条町内の戦争関連石碑。

県史協 東広島豊栄大会のご案内 第42回南部地区大会 11月14日(土) 場所豊栄町賀茂北高校体育館(豊栄町乃美632)9:30 開会、総会、豊栄神楽団「折敷舞」上演他。

8月例会予定 8月22日13:30~ 下見福祉会館 講演「西条四日市の歴史」大阪国際学院大学研究員 棚橋久美子氏

グループ研究会ご案内 

第247回古文書研究会 とき8月18日(火)13:30~ ところ市民協働センター テキスト 社倉法和解独弁④

巨樹・植物研究会 8・9月はお休みです。

第144回石造研究会 とき8月25日(火)13:30~ ところ市民協働センター

四日市町並研究会 8月はお休み。

山城探訪会 8月はお休み。

原爆資料保存研究会 8月はお休み。

地域研究活動 各地域研究活動なし。

8月の図書室開放 8月21日(金)13:00~15:00








2020年8月6日木曜日

被爆75年 第32回東広島市原爆展開催中

サンスクエア2階(西条西本町)
期間 令和2年8月1日~7日
時間 10時から17時 ただし最終日7日は16時まで
立体的な展示方法で分かり易くなっています。