2020年9月26日土曜日

令和2年(2020)9月例会がありました

月例会令和2年9月

日時 令和2年9月26日(土)13:30

場所 下見福祉会館

1.開会の挨拶

2.研究発表Ⅰ 「西条四日市の歴史散歩 刊行余話」

                     國松宏史(ひろし)

 研究発表Ⅱ 「宇喜多直家(なおいえ)に嫁いだ平賀広相(ひろすけ)の娘」

                     皆木欣耿(みなき としあき)

3.連絡・報告

 郷土史展 令和2年12月9日~14日 9時~17時 テーマ 広島の幕末

 忘年会 無し、12月を月例会に変える 令和2年12月19日(土) 場所 検討中

 新年登山・新年会 令和3年1月7日(木) 場所 検討中

4.10月例会 10月24日(土) 13:30~下見福祉会館

5.閉会挨拶

令和2年9月例会出席者

四日市町並研究会とは

國松宏史の発表

西条四日市町並研究会が刊行した本の紹介



西条四日市の歴史散歩刊行

新聞記事 ひろしま歴史回廊に掲載

幕末の竹内家文書の正確さが証明された 街道の屈曲した部分の間取り



下見福祉会館ロビーでジオラマの会員への披露 説明は松木津々二氏

街道沿いの街並 建物の後ろは畑などに使われていたようだ。

発表者 Ⅱ 皆木欣耿
「宇喜多直家に嫁いだ平賀広相の娘」を発表された。





2020年9月21日月曜日

西国街道沿いに新たに登録有形文化財が

 2020年9月の東広島市広報誌に掲載された

西国街道沿いの有形登録文化財2件

2020年9月号広報東広島の記事

2件の登録有形文化財の共通点は、2階にある袖卯建(そでうだつ)と2階の壁が
黒いタイル貼りであることだけではない。                 
太田家と岡田家で、岡田家は東映会長 岡田茂氏の実家と紹介されているが、実
は両方とも岡田茂氏の実家である。                    
生家は岡田酒店の岡田家の方ですが、岡田茂氏は太田家は、岡田茂氏が養子に行か
れた岡田家であり、岡田茂氏が東京に行かれて帰ることはないと、売りに出された
ものを太田家が購入されたもので、実は両方とも岡田茂氏所縁の建物である。  

登録有形文化財 太田家住宅 岡田茂氏が養子に行かれた岡田家だった

袖卯建(そでうだつ)や2階の壁が黒いタイル貼りになっている


袖卯建(そでうだつ)や2階の壁が黒いタイル貼りになっている


基礎が高くなっている


ここからは、生家岡田家


2階の袖卯建や2階の壁は黒いタイル貼り




階の袖卯建や2階の壁は黒いタイル貼り

入口横には岡田茂氏生家の表示がある









宿駅 西国街道 四日市宿の継立場にたてられた白い郵便ポスト

 酒都西条の酒瓶とのん太が描かれた、白いポストが

西条本町歴史公園に建てられました。

この小島屋跡こそ宿駅の中心部で重要な場所です。

歴史広場管理事務所では、宿駅 西国街道 四日市宿のジオラマなど展示されています。

一般公開は、場所:西条駅前 酒蔵通り「歴史広場/庭園管理室」
日時:10月2日(金)・3日(土)・4日(日)の3日間
時間:10:00~16:00 

公開に合わせて、歴史広場 庭園管理室の展示も是非ご覧ください。

当日は三密を避けるため、集まり次第係員が解説いたします。


歴史広場と向かいの白牡丹酒造が宿駅の中心部分の駅です。


小島屋と白牡丹酒造、吉田屋が今も様子を伝えています。


ポストの正面はのん太が居ます。



ジオラマのどの箇所が何だったのか解説されています。



ジオラマ全景 多くの方が作成に協力してくださいました。



現在地と示された.部分が展示室です。

小倉屋(旧石井家住宅)も再現されています。

ジオラマは軽く作られ、様々な場所に持ち出し展示できるようになっています。
展示する.位置を考えて立体的な奥行きを感じられるよう作成された。

2020年9月12日土曜日

ジオラマ 「宿駅 西国街道四日市」完成

 東広島郷土史研究会 四日市町並研究会

ジオラマ 「宿駅 西国街道四日市」完成

四日市町並研究会では、昨年より西条酒蔵通りの街の基になった江戸時代の「宿駅 西国街道四日市」の街のジオラマ模型を作製していましたが、このたび完成いたしました。

 大きさは、幅180cm×奥行77cmで高さはケースの最上部まで16cm(本体は11cm)になり、台座にはコンパネを用い、模型は発泡スチロールと紙で比較的軽く作られています。

 時代は、嘉永元年(1848)頃の町並を想定したもので、東西1kmの町並を1/555のスケールで再現しています。この頃が宿駅の街として最大であったと想定される時代です。

 一般公開は、場所:西条駅前 酒蔵通り「歴史広場/庭園管理室」

  〒739-0011 広島県東広島市西条本町9−19

日時:10月2日(金)・3日(土)・4日(日)の3日間

時間:10:00~16:00 



2020年9月8日火曜日

令和2(2020)年9月東広島郷土史研究会ニュースNo.553号を掲載しました。

 

令和2(2020)年9月東広島郷土史研究会ニュースNo.553号

内容 特別講演「四日市の町の歴史」8月例会概要報告、発見!ユニークな明治の教科書、7月例会発表要旨 俳諧求めて、今日も「徘徊」、50回迎え飛躍する山城探訪会、伊原惣十郎義和翁の墓選書。

9月例会予定 9月26日13:30~ 下見福祉会館

発表Ⅰ 「西条四日市の歴史散歩 刊行余話」國松宏史氏

発表Ⅱ 「宇喜田直家に嫁いだ平賀広相の娘」皆木佽耿氏

グループ研究会ご案内 

第247回古文書研究会 とき9月15日(火)13:30~ ところ市民協働センター テキスト 社倉法和解独弁④

巨樹・植物研究会 とき9月18日(金)13:30~ ところ市民協働センター テキスト 社倉法和解独弁④

第144回石造研究会 とき9月29日(火)13:30~ ところ市民協働センター

四日市町並研究会 とき9月7日(月)13:30~ ところ歴史広場土蔵

第51回山城探訪会 とき9月9日(水)9時~ 集合 鏡山公園第2駐車場 内容 鏡山合戦にタイムスリップ

原爆資料保存研究会 とき9月17日(木)14:30~ ところ市民協働センター

地域研究活動 西条会 とき9月25日(金)13:30~ ところ東西条地域センター

9月の図書室開放 9月21日(金)13:00~15:00










2020年9月6日日曜日

戦国時代より今に続く街道

昼原街道
東広島市八本松町原には昼原という地域がある
昼原神社の昼原というは戦国時代毛利元就の時代市が立ち、小早川と手を結び物資の往来が盛んであったという。昼原道が神社の建つところに通っている道で街道の要所要所には宿場ができ市がたったそうだ、三津口・小多田市・昼原市・志和堀市・井原市を経て吉田に至る。市はこの近くの地蔵堂の辺りにあったという。昼原市に商売の繁盛を願い胡社を祀った。この昼原神社がその胡社だ、「人を見るなら原町(昼原市)で衣装を見るなら堀の市(高屋町)といわれるほど繁盛ぶりがうかがえる」、原村史より
現在の昼原神社は、道路拡張により位置が、かわっている(原村史編纂当時)
雷八幡神社末社。明治4年神社明細帳に昼原社 弥津波能売神(故昼原水神)、恵美須社 
 事代主神(故昼原恵美須社)とあり、いつのころからかこの2社が一つに祀られている。
由緒記によると国郡志書出帳に曰く、「昼原恵美須社神殿あり」寛政12申改神社21社書上帳に曰く、「一社胡子神社あり」弘化3年午七月御本所御役所へ.書上に曰く、「末社14社の内胡子神社あり」古老口碑「当社は古へ毛利元就に御用魚を奉る通行筋、即ち昼原という所に魚市場を開きこの所より吉田城へ送る。依ってこの所を昼原市という。この時毛利元就当市に胡子の社を建立せり」(坂本京市氏談)
昼原市は牛馬市場を併設、行商人も加わり、経済発展力を備えた。後西の武田と解けて広島湾への便ができ、三津口・吉田間のルートは不要となる。
原村史編纂当時の昼原街道

現在の昼原街道





原村史より地図上のBが昼原街道
昼原神社・原町地蔵堂が街道沿いにある
原町地蔵堂からAの道を左(西)に下ったところに馬橋が架かる。


昼原神社と境内の山林

昼原神社(胡社・恵飛須社)
昼原神社は元々水神を祀っていた所に恵飛須さんを
祀ったのだという。1550年頃

昼原街道のことを記録した石碑
原村史に記述された内容が彫られている。

原町地蔵堂 左に見える道が.昼原街道手前が黒瀬方面、写真上部が雷八幡神社から志和堀、吉田へと向かう

原町地蔵堂に安置された石彫の地蔵尊座像

昼原街道との交差点を原町地蔵堂があり西に下ったところに
温井川に掛かる馬橋がある

現在の馬橋から下河内田を望む。
馬橋から下河内田を望んだ現在

橋の欄干に彫られた馬橋の名前

橋の欄干に彫られた馬橋の名前