2019年2月24日日曜日

平成31年(2019)2月例会

平成31年(2019)2月例会

日時 平成31年2月23日 13:30~16:00
場所 東西条地域センター
開会の挨拶


研究発表I「丸山神社古墳群について」 光田 清志氏
丸山神社古墳群
出典

その他参考資料

丸山神社
丸山神社

丸山神社古墳

丸山神社概要

丸山神社古墳概要

周囲の地形

発表をする 光田氏

西条盆地の古墳分布
古墳の分布
丸山神社古墳

丸山神社古墳群出土品


研究発表II「諸説 ”幕末・維新”史」奥 武史氏  
資料表紙






ワンポイント講座 天野浩一郎氏

東広島歴史文化基本構想より
古墳文化の開花
連絡相談コーナー
   歩く会実行委員会 3月4日(月)午前10時~ コジマヤ2階 
   歩く会資料班」3月11日(月) 午前10時~ コジマヤ2階
   ガイドの会との合同試歩 3月28日(木)午前9時30分
                 平岩小学校(昼食持参)

   神機隊関連イベント 3月21日(祝)
      幕末彼氏伝 穂高健一氏トークショー 
      JMSアステールプラザ1階 入場無料

   平成31年度総会 4月13日(土)午後1時~
      東西条地域センター
      講演と総会

閉会


2019年2月17日日曜日

宮城県 F氏より神機隊墓発見の便り

神機隊の墓の案内を依頼された宮城県のF氏より
宮城県内に神機隊の墓が見つかったことの
お便りがありました。

----ここからメール本文------
今日は宮城県南部の亘理に行ってきました。
亘理は仙台藩降伏後に広島藩が進駐していたところです
目的は掃苔とは全く関係ない用事でしたが、用事を済ませた帰り道に偶然入ったお寺で神機隊隊士のお墓を発見しました。
亘理町の真光寺というお寺で、亘理で爆破事故で亡くなった佐々木友五郎さんのお墓です。
石には12月8日とありますが、名鑑では明治2年2月21日となっています。

佐々木友五郎墓亘理で爆破事故で亡くなった


----以上------


2019年2月11日月曜日

藤原春鵲(しゅんじゃく)

藤原春鵲(しゅんじゃく)

東広島市西条町上三永
藤原春徳の子、春閣の曽孫にあたる。幼少より父春徳の指導を受け、少年時代は、頼聿庵に師事。のち長崎に行き池田玄彬(蘭医ボードウィンの長崎精得館頭取、後に東京帝大医学部総理、我が国最初の医学博士)に学び、特に種痘を研究して2年後帰郷。
1866年(慶応2)6月、第2次征長出兵の際、弟子を引率して藩庁に出張して傷病兵、被災民の治療に当る。このころ郡奉行指揮のもとに従来の農兵とは別に「臨時農兵隊」(のちの応変隊)が編成されていたが、その屯営に出向して軍医長となっている。しかし神機隊関係の史料によると志和の同隊残留部隊の中に藤原春鵲の名があり、応変隊より転出したものと思われる。1853年(嘉永6)の飢饉の際には私金75両(今の約600万円)を窮民救済にあて、それも受給者の心情を慮り貸付の名目で行い、実際には返済は受けなかった。
その後も凶作の度に救済し、また郡役所に上申し、郡内全般に無料で種痘を行っている。一方では常時伝来の山林を開放して村民の燃料として提供している。1873年(明治6)上三永に小学校を創設、その費用の過半を負担している。家庭は父子・兄弟・弟子・使用人など併せて28人という大所帯でありながら常に和気藹々たるものがあったという。1884年(明治17)春、その徳行・孝義に対し緑綬褒章が贈られている。1896年(明治29)10月23日病没、67歳。(藤原家文書ほか)<武田正視>(東広島の歴史事典より)
※画像をクリックすると大きくなります。

築地神社


碑 解説



碑文(井東茂夫碑文より写す)

碑文の大意
(井東茂夫 解読)


春鵲 父と呼岩を訪ねる 築地神社絵馬
(井東茂夫氏提供)


藤原家 墓地

藤原家 墓地


藤原春鵲墓




東広島郷土史研究会ニュース2019年2月号No534号

東広島郷土史研究会ニュース2019年2月号 No534号

鳥居の雑学/平賀氏と御薗宇城 1月例会概要報告 志和の郷土史を展望・生城山 新春登山・新年互礼会 12月例会発表要旨 第二次世界大戦・負の遺産 11月例会発表要旨 文化財管理業務 温故知親 地元に受け継がれる山城 第41回山城探訪会 寺家 正福寺 /廃蓮花寺跡探訪 西条会研究報告
※画像をクリックすると大きくなります。