2016年12月18日日曜日

第2回郷土史研究会高屋会

第2回郷土史研究会高屋会


12月15日(木)

高屋の地名の発祥、語源などについて話し合われました。
 


2016年11月27日日曜日

まちの歴史は郷土の文化財 西条酒蔵通り歴史庭園(ヒストリアガーデン)がオープンしました。


 西条酒蔵通りにあった吟古館が東広島市に寄贈され、建物は解体されました。

その吟古館跡に隣接して「西条酒蔵通り 歴史庭園(ヒストリアガーデン)が完成し
東広島郷土史研究会 11月例会でお披露目されました。




左手奥は、吟古館(小島屋)に連なっていた、現在の賀茂鶴一号蔵
この蔵から酒都西条の歴史が始まった。

中央の煙突は、西條鶴醸造の酒蔵の煙突、近代の酒造のシンボル
と言える煉瓦の煙突
この敷地は、江戸時代の四日市宿継立場の跡だった事がわかった。

右は賀茂輝酒造から移された酒船(酒を搾る設備)
左は、サタケかrた寄贈された動力式精米機

偶然見つかった、四日市宿の継場跡
継立場とは、宿場から宿場を荷物を運ぶ馬の
中継場所です。赤い煉瓦が建物手前の広いところに
馬をつなぐところがありました。

竹内文書に残された四日市宿の町並みは、発掘により
その確かさが証明されています。
馬つなぎが、再現されています。

偶然見つかった江戸時代の水路の石垣、中央部がカギに
なっています。辻跡と考えられていたところが、実は江戸時代の
継立場であったことが判明しました。
この歴史庭園は、江戸時代の宿場、西条四日市の重要なポイントであるばかりでなく
のちに西条の酒造産業の始まりともいえる場所でもあります。

木村静彦酒造建物変遷 改装され銀行として使われた時期があった。







サタケによって開発された動力式精米機、この発明によって、西条の酒は質、量ともに向上しおおいに発展をした。

西条の酒造産業に功績のあった人たちの紹介がされている。

四日市宿の役割と解説

宿場での継場の役割を説明される
酒蔵通りにある西条の酒造用の名水

向いは白牡丹酒造天保蔵

歴史庭園の展示配置図

この度、念願の西條四日市宿と明治から発展した西条の酒造産業の始まりについての概要を展示された施設がオープンした。
西条の鮭蔵通りを訪れる観光客にとっても、酒都西条を理解される良い施設ができた。

2016年11月26日土曜日

平成28年度第4回役員会11月

平成28年度第4回役員会が行われた
期日 平成28年11月26日(土)午前10時から
場所 朝日町 コジマヤ2F 東広島郷土史研究会事務所

議題
 1.第33回東広島の史跡文化財を見て歩く会の準備状況(実行委員会)
   コース見直し 仙石庭園が有料化になることに伴いコースから
   外れることになった。昼食場所に 高屋西小学校が加わり
   石内八幡神社・西品寺がコースに加わった。
   調整中   
 2.第32回歩く会・決算状況(事務局)
 3.秋の臨地研修結果と今後の課題等(国永臨地研修委員長)
   参加者が少なく、費用の負担も増える、費用のアップと一泊の可否について 
   車内で緊急アンケート
   費用アップやむなし、バス小型にすれば、チャーター費用、高速代など安くなる。
   一泊希望が多かった。
 4.コジマヤ倉庫の片づけ状況(事務局)
   会議後、役員で片づけを行った。

 5.12月例会&忘年会、及び新春登山について
   12月17日(土)午前10:30~ 昼食 白竜湖
   1月7日(土)予定 新年会 チロリンタウン
   新春登山 西条 龍王山憩いの森 下の駐車場集合
 6.長尾一里塚道標の破損について
   Mr.Max駐車場にあり何者かが折った、Mr.Maxさまで保管してくださっている
   根元から折れていて、新しく作る必要がある?協議する。

Mr.Maxで保管中


 7.ホームページの状況(松浦理事)
   ホームページ フェイスブック ブログの状況報告
   
   会への問い合わせについて報告 4件問い合わせ入会希望など

   ブログも一つの記事を800近くの方がみられていたりするので
   どしどし話題をおくってほしい。
   すべて連動して機能している。
   ホームページは月750-800のアクセスがある。
   遠い合わせ月2件あり入会者もできようになった。

 8.来年の郷土史展会場
    「くらら」市民ギャラリー 29年10月10日から17日
 9.そのほか
   志和会 八本松会 活動状況報告
   いずれも第3回を開催 志和会は光源寺について
   八本松会は「原の歴史散歩」臨地研修しました。(松浦理事 案内)11名参加
   
全住職 戸島行蔵様に解説いただいた。
内陣欄間の龍は1頭で三間にわたり迫力あり
前の本堂消失の際に持ち出され非難していた。

三業惑乱で活躍した 住職 雲幢の墓
左は初代
盃状アナ手水鉢

幕末の勤皇僧 宇都宮黙霖の書
「幻華遺迹法城」
幻華は雲幢の号

小倉神社へ向かう

幕末の神機隊で戦死した 造賀善太郎隊士の墓

原の歴史散歩はこちらからご覧ください。


2016年11月21日月曜日

第3回八本松会 原地区の歴史散歩

第3回八本松会 原地区の歴史散歩

日時 2016.11.20 13:00 八本松地域センター集合

コース:

1.教順寺(きょうじゅんじ)・・・浄土真宗本願寺派 山号:宗光山、本尊:阿弥陀如来
        開基:明らかでない。
        1574年(天正2)第2世願念が現在地に移す。
        1853年(嘉永6)本堂再々建。
        雲憧(うんどう)の墓、書簡など、宇都宮黙霖の扁額
        広島高等師範付属中学の疎開の感謝の碑
        盃状穴のある手水鉢
        雲憧 号は幻華 本願寺派最大の宗義騒動「三業惑乱(さんごうわくらん)」では
        旗手の大瀛(だいえい)の支援活動を行う。大瀛の死後、中心的な立場となる。
        教順寺住職をつとめていた。
        本山で講師をつとめたりし、初の本山勧学のひとりに任命された。
 解説:先代住職 戸島行蔵様
教順寺 本堂

の墓 中央 左は初代の墓


本堂で前住職 戸島行蔵様にお話を伺う。
戸島行蔵前住職さまより、教順寺の歴史、雲憧師のこと、そして宇都宮黙霖に
ついてお話をしていただきました。

吉田松陰の思想を改めさせた、勤皇僧 宇都宮黙霖の扁額
幻華とは雲憧の号、遺迹法城(ゆいせきほうじょう)とは住職を務めた教順寺をさす。
「幻華遺迹法城」とありますが、「遺迹」とは、「ゆいしき」寺院関係では読みます。
「遺跡」のことのようです。
生活が行われていた場所とかいう意味に使いますが、まさに雲憧が住職として、
阿弥陀仏を拝み、生活をされ、仏教を教えておられた場所をさすのでしょう。
法城も堅固なことを指すのでしょうが、三業惑乱での働きをしめしたのでしょうか、
それとも観学の称号に相応しい雲憧師の事を称えたのでしょうか。いずれにしても
黙霖が雲憧に対する思いを最高の表した書であることは間違いないと思います。
三間にわたる一頭の龍の欄間は珍しい。本堂が火災にあった時に持ち出され
再建時に取り付けられたものという。

盃状穴のある手水鉢 子宝などの願いや様々な願いを込めて手水鉢の
縁や底に穿たれた凹みを盃状穴と呼びます。前住職様のお話によると
正力の方が自分たちで運んだといわれていたということで、他から運ばれ
てきたもののようです。
昭和20年広島高等師範学校付属中学1年生が、疎開先の原で受けた恩に対し
感謝の気持ちを石碑として残されたもの。アカシア会回生


2.雷八幡神社(いかづちはちまんじんじゃ)・・東広島郷土史研究会初代会長 景山英俊氏が宮司をされていた神社。
 清和天皇の859年(貞観元)宇佐八幡宮より勧進。もとは原村、下見村、吉川村の総鎮守と云う。御神像には1382年(弘和2)の墨書銘あり。
「天地育萬物」(天地(自然)は、萬物(あらゆる物・
全ての物)を育てる(産みだす))、
「神意創千世」(神意は千年の世を創る・神様が
私たちの生活を創ってくださっている・
人間古いことばかりやっていては、活きていくこと
は出来ない、常に新しいものを生み出い
創り上げていかなくては成り立たないのだという
事を言っておられました。)
 多くの絵馬が拝殿に掲げられている、36歌仙の
額が31枚があり寄進者の屋号があり江戸期の奉納と
思われる。
 歌碑2基、句碑2基あり、

光岡 始(一芽)句碑
「花げんげ子ら走りこみ 
はしりこみ(西条町下見、光岡始・俳号:一芽)」
 1984年(昭和59)1月。


 「守りゆく 一すじのみち 大き道」 宮司 景山英俊
神様にひとすじにお仕えする気持ち、これまでのご自身のことをよまれたもの。
社務所から境内に向かう坂道のところに建立されたものです。

 歌碑1.「恵まれしめぐりあひこそたうとけれ 阿さのひかりに かしは手をうつ(宮司:景山英俊)」1986年(昭和61)7月10日。
宮司 景山英俊 歌碑

 これまで大きな出来事にあって、横浜でも関東大震災の前に、もどってきて震災にあわなかった。広島の原爆でも船越で訓練をしていて直接原爆にあう事はなかった。そういった大災害に合わずに今の自分はある。そして多くの人々に出会い今の自分がある、とてもありがたいことだ、旭日に向かいそのことを感謝して旭日に向かって拍手をうつということを直接伺いました。



 歌碑2「湖のあとと聞かされ目を放つ 原の盆地の穀倉地帯(広島市:山本康夫:歌誌真樹主幹)」、1988年(昭和63)12月

山本康夫 歌
宮司 景山英俊先生から、原の穀倉地帯は大昔、一帯は大きな西条湖と呼ばれる湖であったことを聞かれて、感動されたときの歌です。

曽場が城 城主の祈願所であった。 
 原村、吉川村、下見村の総鎮守であった。

3.訓練中に亡くなった兵士の墓(自衛隊原村演習場内)
4.姫が池(源三位頼政公室 菖蒲前の子、水戸新四郎頼興が城主の二神山城が落城した際、菖蒲前が落ち延びるとき、追っ手を引き付けるため侍女 鶴が身代わりに身を投げた池)
「姫が池」侍女鶴が、菖蒲前の身代わりとなり入水した池、原の村人は「姫が池」と呼び
今でも菖蒲前や鶴のことを語り伝えている。
二神山城落城に纏わる話が、侍女鶴の入水へと繋がる、源頼政と菖蒲前の子ども、水戸新四朗頼興の居城、二神山城(広島大学キャンパスの西側の山城)は、元久元年(1204)、土肥実平らに攻め落とされてあえなく落城、頼興とその子供も無事逃れることが出来て、福成寺に逃れた、菖蒲前は家臣と共に今の瀬野川まで逃れたという、途中追っ手をくらます為、侍女の鶴が菖蒲前の衣を羽織り追手に高々と名乗りを上げて、池に身を投げたという、その時持仏を池のほとりにおいて入水したという。その持仏は後にでる、為本の西福寺に伝わる。

5.圓福寺、小倉寺が圓福寺となる。臨済宗妙心寺派、多くの寺宝が伝えられる。菖蒲前をまつり現在も法要が行われている。
臨済宗妙心寺派 瑞鳳山小倉院圓福寺
一時は廃寺となっていたが、村人の熱意で再興された。

圓福寺再建の碑 廃寺となった寺を再興させることが
出来た喜びが伝わる。

入口には瑞鳳山小倉院圓福寺と書かれている。
小倉神社の流れの寺であることを伝える。
今も菖蒲の前の位牌などがあり、村人は法要を営んでいる。

6.小倉神社遥拝所(神楽殿) 三戸民助氏(水戸親四朗頼興の子孫とされる)が寄進された鳥居などがある。
小倉神社遥拝所(神楽殿)、山上の小倉神社は、途中に演習場があり
祭などの時に参拝に行かれないことがしばしばあり、ふもとに建てられた。
水戸親四朗頼興の子孫という、水戸民助氏が鳥居を寄進。

柱には三戸民助源頼明と記されている。
氏は度々小倉神社を訪れ、自ら作った唄を歌われていたという。

7.毘沙門堂
毘沙門堂、現在の堂は吉川の毘沙門堂を買い受けたものとされる。
臨済宗妙心寺派

8.小倉神社・菖蒲前と従者の墓がある。市天然記念物 タブノキがある。
 数基の歌碑が建てられている。拝殿には雨ごいで御利益のあったお礼の
 絵馬が掛けられている。
小倉神社 禊場横の駐車場の左手に建立された歌碑です。
「ひとさかえ ひとのほろびてゆきたらむ おちばにそそぐひかり みじかし」歌、渡部正則。





木の鳥居をくぐり、標柱が立ち石段へと続く坂道。
参道の保護のための葺石なのか、自然石の露出なのか?小倉神社のある山は、
細かな石が堆積されたこのなのか?花崗岩が自然に崩壊したものなのか分かり
ませんが、参道・両脇にと積み上げられたように並んでいます。

市天然記念物 小倉神社のタブノキ

タブノキ解説

小倉神社 拝殿

境内にあがる石の階段の左手にある歌碑。
「笛の音の絶えなば一期 菖蒲前土中ふかく こもりしと ああ 歌 山本節子」
菖蒲前こと西妙尼の最期の言葉を歌ったもの
幣殿に掲げられた、板碑の歌碑2首
「深林の 匂いたちこもる水辺に 世塵洗われてありぬ一とき」歌、山本康夫
「こえあげて 君のめでたる真情 水の けふも清らに ここに集まる」歌 山本節子
拝殿に掲げられた絵馬、雨ごいによって降った雨に喜ぶ農民の表情が実に嬉しそうです。

雨ごいによる雨の恵みに感謝した、
源三位頼政公の御神歌、菖蒲前 御神歌とあります。
菖蒲前が詠まれた歌を額にされて奉納されている。

菖蒲の前御墓の覆い屋に掲げられた菖蒲前の歌の扁額、

 (小倉寺跡、小倉名水が隣接地にあるが、立ち入り禁止により山に戻ってしまい近づけなかった)

9.神機隊士 戊辰戦争で戦死された 造賀善太郎隊士の墓、増加善太郎惟義と彫られている。
 側面には功績が彫られている。功労として生涯2人扶持、名字帯刀を許された栄誉が記されている。
 解説:西澤秀次氏
解説する西澤氏 造賀さんとは親戚になる

西澤氏が移した、側面の碑文、造賀善太郎隊士の
功績が彫られている

10.西福寺、稲生神社 、神社と寺院が同じ建物になっている。かつては鐘つき堂もあった。
  西福寺は、姫が池に身代わりとなって身を投げた侍女 鶴が入水前に金の持仏を置いて身を投げた、その金の持仏がまつられていたという、今は失われていている。小倉12坊の1寺と伝わる。

かつては境内に、並んで建っていたが、
建て直された際に同じ建物になった。

額には、蓮花山西福寺 稲生神社とある





16:30 解散

参加者:石井勝彦、織田成和、近藤孝美、杉原照登、竹本省三、中原久夫、西澤秀次、松浦学、国永昭二、国松宏史、天野浩一郎/11名

東広島郷土史研究会では、皆さんのご入会をお待ちしています。