2017年4月21日金曜日

西条酒蔵通りの街をつくった 三世代の産業功労者の記録を本にしました。販売中。

西条酒蔵通りの街をつくった 三世代の産業功労者の記録を本にしました。販売中。
三世代にわたる産業功績者を選定しその功績をたどっています。

登場する功績者

目次
木村和平の功績
写真はサタケ動力式精米機

木村静彦の功績
中国新聞広告
賀茂鶴広告塔

第1回から3回 全国清酒品評会記録
この第1回から三浦仙三郎翁の指導を受けた酒が数多く入賞し
広島酒の存在を全国に知らしめた。
その後も継続して入賞が続いたことからその酒造方法に注目が注がれ
三津杜氏・蔵人の青田刈りまで行われた。

三浦仙三郎翁銅像建立に寄付を出された方々
全国から寄付金が集まってる。
翁の功績の高さがうかがえる。

かつてあった西條南方酒造は 和歌山の南方酒造との
共同出資で設立された。
南方酒造は、粘菌研究でしられる南方熊楠の実家である。

以上の内容などが、写真や年表を使ってわかりやすく解説されている。
意外なかたとのつながりも解明した。西条の産業史だけでなく、近代酒造の発達の内容がよく理解できるようになっています。
四日市町並研究会が冊子(西条酒蔵通りの街をつくった三世代の産業功績者)をつくりました。
価格¥1000
郵送の場合は送料¥500
計¥1500―となります。

¥1500の定額小為替を郵便局でお買い求めいただいて、同封の返信用封筒で返送していただくようになります。
申し込み先、739-0015 東広島市西条栄町4-5-402 国松宏史
電 話 082-421-0312
Email 
kunimatsu402@hi3.enjoy.ne.jp
本の販売、森書店、賀茂鶴酒造売店、亀齢酒造売店、賀茂泉酒造売店、くぐりもん観光案内所、小泉新聞舗、さくら屋等に於いても販売しています。

2017年4月13日木曜日

総会・第29回・第30回 山城探訪会

総会・第29回・第30回 山城探訪会

白市交流会館で総会開催

第29回山城探訪会は高屋東是国へ

第30回山城探訪会は志和の海軍山へ35名が
海軍山指令室前で1班
海軍山指令室前で2班

2017年4月10日月曜日

古慈喜城 東広島市高屋町

古慈喜城(こじきじょう) 東広島市高屋町
東南は中島、西北は大畠、南東は宮領、北東は 杵原
丘陵地先端の比高20mに築かれた小さな山城跡。
築城時期不明、応仁の乱で鬼平賀と異名をとった13代平賀弘宗の弟宗仲は大畠氏を名乗っていますので古慈喜城に入っていたこと、寺領であった時期もありこじきの名は、そこからきた名称ではないかとおもわれている。
こじきとは
  1. 本来は仏教用語で「こつじき」と読む。比丘僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。(Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F)より引用)

2017年4月9日日曜日

白鳥神社と白鳥古墳 東広島市高屋町

白鳥神社と白鳥古墳 東広島市高屋町郷354
祭神 日本武尊
由来 日本武尊が死後白鳥となって飛翔し当山頂まで来て姿をけしたという。
広島縣神社誌に景行天皇43年天下に号令して諸国に白鳥神社をたてさせたとある。
その時安芸国に於いて建立された社であるという。
高屋保は、荘園時代は「大炊寮」領地でその支配のもとにあり関係が深かったとされる。
明治末に白鳥神社の本殿が改築された際に地下から埋葬施設がみつかった。
詳しくはこちらのブログをお読みください。
http://city-higashihiroshima.blogspot.jp/2011/01/blog-post.html
由来碑



白鳥古墳から出土した2枚の鏡 4世紀後半
三角縁神獣鏡 神獣鏡
大刀、勾玉などと
一括して県指定重要文化財

白鳥古墳から出土した 素環頭大刀 4世紀後半

白鳥古墳から出土した 勾玉 4世紀後半
白鳥山 標高453m

2017年4月8日土曜日

平成29年度東広島郷土史研究会 総会があり講演がありました。

平成29年度東広島郷土史研究会 総会があり講演がありました。
場所 東広島市民文化センター サンスクエア
時間 13:30~16:00
記念講演会:「大永年間の安芸国騒乱について」講師;吉野健志氏(市教委文化課)




大内義興
背中にある丸いものはうちわだそうです。
当時団扇を出すことが流行っていたそうです。

当時の鏡城(鏡山城)まわりの武士の勢力図


活動報告 活動計画 会計報告などがありました。


石打八幡神社 東広島市高屋町中島 寺之前758

石打八幡神社
鎮座地 東広島市高屋町中島寺之前758
祭神 品陀和気命(応神天皇) 帯中津日子命 息長帯此売命

由来 弘安四年(1281)五月、元軍来襲 朝廷では京都12社に外敵撃破を祈念、亀山天皇は石清水八幡宮では夜を徹して祈り明かされ身をもって国難に変わらんと宣命を奉納。
敵軍は大風によりことごとく西海に没し、高屋庄でも天佑神助による現象と信じ、天下の平安を賀し、一社を建立して八幡大神を勧請した。
第33回東広島の史跡・文化財を見て歩く会コースより。

高屋中学の西隣の住宅地に鎮座しています。
参道入り口には石の鳥居が建立されています。

参道には多くの石段と標柱があります。


境内に建立された由来碑

由来碑建立者記名

手水

昭和8年とある

狛犬 昭和9年建立

獅子 昭和9年建立



本殿にちかい標柱

本殿にちかい標柱

本殿

本殿裏


本殿庇がふかく、もとは茅葺だったものか?