平成31年4月30日 神機隊士の墓と所縁の地を訪問しました。
8年前、西志和と神機隊の地を歩く、第27回東広島の史跡・文化財を見て歩く会を開催し、郷土史展で神機隊をテーマに取り上げた時、戊辰戦争で戦った地に戦死をされた隊士の墓や供養碑がありその写真をインターネットで探した時に見つけた「戊辰掃苔録」その管理者が藤田祐介さんで写真やデータの利用を快く提供いただきました。この度東広島に神機隊の墓を訪ねたいと郷土史研究会のホームページにご連絡をいただきました。
インタネットでは西蓮寺くらいしか墓のデータが見つからないということで、情報が欲しいということでしたが、どこの墓もなかなか解りにくく、直にご案内する方が早いので今回のご案内になりました。お互いホームページを同じ趣味で開設し続けていたことから8年ぶりにお会いし実現することが出来ました。
平成31年4月30日9:00 西条朝日町 コジマヤ駐車場発
9:30 上河内 旧登橋で後藤仁三郎隊士の子孫の後藤浩宗氏と落ち合いご案内をいただく同氏は当会会員でもあります。
後藤仁三郎(ごとう にさぶろう)隊士は第二隊として仙台を警備するため派遣、その後政府軍として西南戦争に出兵される。
右が墓、左は、功績を刻んだ墓誌を神機隊結成120年のとき建てられている。 |
逸話としては恩賞として苗字帯刀終身二人扶持を賜り、明治になっても馬に乗り刀を差していたという話が伝わっているという。
墓の隣には功績を記した墓誌があり向かって右面に神機隊の記録が刻まれている。 |
向かって左面には西南戦争の出兵の記録が刻まれている。 |
春鵲は応変隊から神機隊の軍医として貢献されている。
近くの築地神社には藤原春鵲の碑が建立されている。のち緑綬褒章を授与されている。功績は別頁を参照してください。碑はまわることができなかったので別日のものを記載する。
揮毫は乃木希典大将のもの |
三番目に訪問したのは加藤常太郎隊士の墓で、今は無縁となり地元の方が管理されている。地元会員の案内で墓を訪ねた。
左の墓が加藤常太郎隊士のもの |
右が加藤常太郎隊士の墓 |
現状を伝えるためあえて傾いたままの状態で撮影した。 以前管理されている方と訪問した時の記録はここにリンクします。 |
傘のある墓が造賀善太郎隊士の墓 |
側面に功績と恩賞のことが刻まれている。 別頁に詳しく記載している |
吉川さんのお宅に車を停め、子孫の方にご案内いただいた。
吉川さんは松浦の中学時代の同級生のお母さんで歓待してくださり恐縮しました。後藤さんもですがご辞退をいたしましたが子孫の方みなさん歓待くださり、大変恐縮した訪問でした。
吉川逸平隊士の墓を別のページで記載しているのでご覧ください。
六番目八本松町原 宮東(みやひがし)の寺屋敷の墓地にある、宮崎三左衛門(みやざき さんざえもん)隊士の墓を訪ねました。
神機隊の記録は原村史に神機隊士の出兵した記録があり判明した。
仙台城入城後、函館 五稜郭へまで遠征したことが記録されている。
宮崎三左衛門隊士の記録は別頁にあります。ご参照ください。
次はいよいよ神機隊の本陣があった、西志和の西蓮寺を訪ねました。
こちらは志和の歴史に詳しい、吉本副会長と西蓮寺に神機隊士の墓を集められた近藤氏の子息の近藤氏(当会会員)にお話を伺い。吉本副会長のお宅で神機隊と八条原城のレクチャーを受け、八条原城跡を訪ねました。
レクチャー後裏にある八条原城跡を訪ねた。
以前おこなった第32回郷土史展で神機隊・八条原城を取り上げているのでご覧ください。
第27回東広島の史跡文化財を見て歩く会の記録です。ご覧ください。
はじめにたずねたのは、八千石の米蔵とよばれるもの。
以上で神機隊の墓・所縁の地めぐりを終えます。明日令和元年5月1日は広島市東区山根町の高間省三の墓を訪ねるという。
(記:松浦)
写真右が吉川逸平隊士の墓 |
吉川逸平隊士の墓を別のページで記載しているのでご覧ください。
六番目八本松町原 宮東(みやひがし)の寺屋敷の墓地にある、宮崎三左衛門(みやざき さんざえもん)隊士の墓を訪ねました。
神機隊の記録は原村史に神機隊士の出兵した記録があり判明した。
仙台城入城後、函館 五稜郭へまで遠征したことが記録されている。
宮崎三左衛門隊士の記録は別頁にあります。ご参照ください。
夫婦墓となっており右側面に、宮崎三左衛門の名が刻まれている。 |
次はいよいよ神機隊の本陣があった、西志和の西蓮寺を訪ねました。
こちらは志和の歴史に詳しい、吉本副会長と西蓮寺に神機隊士の墓を集められた近藤氏の子息の近藤氏(当会会員)にお話を伺い。吉本副会長のお宅で神機隊と八条原城のレクチャーを受け、八条原城跡を訪ねました。
本堂正面の上部に西蓮寺のことが掛かれている |
吉本副会長のお宅で資料を拝見、写真は18代浅野長孝氏、 木原秀三郎子孫木原康裕氏が訪問されたときのもの 郷土史研究会メンバーとともに |
以前おこなった第32回郷土史展で神機隊・八条原城を取り上げているのでご覧ください。
第27回東広島の史跡文化財を見て歩く会の記録です。ご覧ください。
八条原城入り口に建つ志和神社、鳥居の位置に大手門があったという このあたりに練兵場の建物が建ち並んでいたという。 |
はじめにたずねたのは、八千石の米蔵とよばれるもの。
八条原城本丸入り口に立つ |
この茂みの向こうに政治堂や別邸、庭園などがあった。 |
(記:松浦)
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