2019年4月27日土曜日

神機隊記事にお便りをいただきました。

神機隊記事にお便りをいただきました。
■内容
貴会ニュースNo.513の「加藤善三郎切腹事件の真相」を拝読いたしました。
私は福島県白河市の『戊辰白河口戦争記』の内容を勉強しておりますが、広島側の資料にふれることができて幸いに思います。
作成している学習ノートにおいて「藝藩志」を紹介させていただき、本事件の認識が改められるようにしたいと考えています。
なお、ニュース記事中で「萩生村」とあるのは正しくは「蒜生〈ひりゅう〉村」です。
また、「深瀬驛」は「踏瀬驛」のことかと思われます。
これらは「藝藩志」がそのように記してしまっているのかもしれませんが。

■対象とする会報 加藤善太郎に関する記事

ご指摘をいただき早速お礼のメールをお送りいたしました。

■その後いただいたメールの内容

東広島郷土史研究会様

ご丁寧な返信をいただき、ありがとうございました。
ご紹介をいただきました武田様の『木原適処と神機隊の人びと』は図書館に当たってみようかと思います。
それから穂高様の著書は購入できるようですので、読んでみようかと思います。
どちらも私にとっては「未知」のことになりますので、楽しみにしております。

先にメールフォームから送信いたしましたが、少々雑であったと思いまして追伸させていただきます。
私は福島県白河市出身の親の縁で佐久間律堂著『戊辰白河口戦争記』の復刻版を贈られました。
が、若いころでしたので、「古臭い活字の本」として敬遠して長く放置していました。
五十代にもなりまして、自身の入院手術を機として、身辺の昔話を見返すことになりました。
それにあたっては、私の先祖が『戊辰白河口戦争記』に出ている人物であるということが後押しとなりました。
白河町の郊外の農村の庄屋・内山忠之右衛門が私の先祖ということでありました。
彼は西軍が白河城を攻略する際の道案内を務め、それを罪として後日会津藩に捕らえられ処刑されました。
私は彼がこの世にいなかったら現在にありえない血縁ですから、その彼が人生半ばで斬首されたという事実に衝撃を受けました。とともに、彼が子を成したことと処刑の、順序の不思議さを思わずにはおれませんでした。
このようにして人の生は続いていくのかと。

あらためて『戊辰白河口戦争記』を読んでみると、この本は白河地方民の証言を集めたところに特徴がある。そしてそれは、どうやら西軍でもなければ東軍でもない、「民」の立ち位置で戦争を描写している、たいへんユニークな書であるということに気が付きました。私の戊辰戦争の理解は、教科書的以上に大概な「西日本=倒幕、東北地方=佐幕」というものでしたから、「古臭い活字の本」は新鮮な視点を得る宝箱(おもちゃ箱?)になりました。
自分がただ読み進めるにも、語句や関連を調べてみないとならないのですが、調べてみて訳が分かると、こんどは自分一人のことにしておくのが勿体ない。自分の成果物は他の人の用にも立つような形にしておこうと思い立った次第です。
形式は、『戊辰白河口戦争記』の本文に沿って、私の理解のために調べた事柄のメモを添えていくというようにしています。
なので、すでに歴史を学んでいる方が見ると「ふりがな」も「注釈」も煩瑣にすぎるとお感じになるかもしれません。
高校生くらいの知識で読み進んでいただくためのものとしてご了承ください。

戊辰白河口戦争記 学習ノート
http://home.h05.itscom.net/tomi/rekisi/sirakawa/bosin/bosin-sirakawa.htm

■上記のようなメールと研究記録を詳細に
WEB上で整理されていました。とても詳細に整理されたものです。

東広島郷土史研究会ホームページ管理委員会 松浦 学

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