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2019年6月5日水曜日

小倉神社の参道整備

東広島市八本松町原
小倉神社の参道が整備され本殿境内の階段の麓まで自動車が上がれるようになりました。
地元の方々の奉仕作業により参道を自動車が上がれるようになりました。実際前輪駆動の車両で上がりましたが、かなり急ですので、上るのもやっとでした。
元々の駐車場

参道を上った、石段の真下の様子

駐車スペースに砂利が敷かれた様子奥に石垣の真下へ上がれる車路が見える

石段の真下の様子は変わらない

境内は、静寂なまま 拝殿と本殿の様子

菖蒲前墓へ行く途中

菖蒲前墓と従者の墓
五輪塔や自然石のサークルが見える

菖蒲前墓覆い屋

覆い屋

菖蒲前墓 宝篋印塔
供物が絶えない


2018年10月1日月曜日

第二回 昔話と伝説 井東 茂夫氏歴史勉強会

第二回 昔話と伝説 井東 茂夫氏歴史勉強会

日時 2018年10月1日 13:30~
場所 東西条地域センター

東広島市に伝わる伝説で
西条町寺家に伝わる 幸熊丸の話
東広島市全域に伝わる 菖蒲前伝説がある。
この二つの話がどのようにして伝わったか伝説の成り立ちを講義された。
田舎の物語が三国物語や源平盛衰記に記録されているのか
主要な道沿いの椎木神社や幸熊丸の墓にそった寺があり旅の僧などが伝えたのではないか

第三回は 11月5日 東西条地域センター 13:30~



昔話と伝説の成り立ち
これに和歌が入ると、作者が物語の信ぴょう性を付けるため
作成したことが解る


幸熊丸の墓

幸熊丸の墓解説

菖蒲前に雨乞いのお礼をふる絵馬

菖蒲前の墓

菖蒲前の墓 覆い屋

円福寺蔵
菖蒲前木造

菖蒲前位牌
円福寺蔵
鶴羽根神社は元椎木神社という

 西条 菖蒲前が創建させたことが書いてある




2018年6月1日金曜日

菖蒲前(あやめのまえ)の史実についての仮説


菖蒲前(あやめのまえ)の史実についての仮説

はじめに
世の識者が源三位頼政の室菖蒲前の存在を知ったのは「源平盛衰記」一六「菖蒲前の事」を読んだことに始まる。その後「太平記」などを通じて全国的に菖蒲前は絶世の美人として楊貴妃に例えられる有名人となった。
 しかし菖蒲前の出生については現在まで手掛かりは知られていない。
 東広島市と広島市には古くから(鎌倉時代初期から)菖蒲前に関連の深い神社が存在していた。すなわち菖蒲前は「源平盛衰記」が成立する(鎌倉~南北朝)以前から知られた人物であった。
 東広島市には菖蒲前を祭神とする小倉神社があり、広島市には菖蒲前の遺志で創建した椎木八幡宮(現鶴羽根神社)が存在した。(文末に広島県神社誌記事を掲載)
 論考 「源平盛衰記」に「菖蒲前」が掲載されたプロセス
 小倉神社は草深い山中に位置するため旅人に知られることはない。
 一方、椎木八幡宮は奈良・西大寺の荘園である牛田荘に隣接した場所にあり、旅人に源三位頼政の室菖蒲前が創建した神社として旅道中の話題となり、誰かの筆になり「源平盛衰記」の説話になったものと考えられる。

 (参考)
①旅の道中で小耳にはさんだ話題が後に書物に記載される例はある。東広島市寺家に伝わる「幸熊丸伝説」は説話集「三国伝記」に掲載されている。
②東広島市には菖蒲前関連寺社が約10社、文書約10通が現存する。
地元原小学校では伝承を総合表現で伝える
校章は菖蒲をデザインにしている

「広島県神社誌」の主要記事。小倉神社

     東広島市八本松町原四六二(西長沢)
祭  神 菖蒲前霊(源頼政公の室)
例  祭 八月二十七日(旧暦)
由  緒 源三位頼政は治承四年(一一八〇)平氏追討の兵を挙げたが敗死し、その室の菖蒲前は当地の小倉山に隠れ、元久元年(一二〇四)八月二十七日に没した。里人、菖蒲前を祀りて一社を建つと伝える。永禄三年(一五六〇)、毛利氏が甲胄と神田を寄せている。その後、元文三年(一七三八)に火災により焼失し、翌年に本殿を再建している。また、当神社は山上に位置して参拝に不便なため、山麓に神楽殿(遙拝所)を明治四十四年に造営した。


テキスト ボックス: 小倉神社

鶴羽根神社(旧称椎木八幡宮)


     広島市東区二葉の里二丁目五の一一
テキスト ボックス: 鶴羽根神社祭  神 品陀和気命、帶仲津日子命、息長帯日売命
例  祭 十月二十九日
由  緒  源頼政の室の菖蒲の前が賀茂郡西条郷(現、東広島市西条町)に落ち延び、その没後に遺志により元久年間(一二〇四)家臣池田左衛門が当神社を創建し、修理料として椎木を付けたので椎木八幡宮と称した。その後、元亨年間(一三二一~四)に火災に遭い.また後の戦乱により荒廃したが、近世になって復興された.天保四年(一八三三)二月十二日、明星院より出火して類焼し、同六年に現在地に遷
座して社殿を再興した.旧鎮座地は饒津神社の境内地の一部となっている.明治二年に鶴羽根八幡宮、同五年に鶴羽根神社と改称した。
 
小倉神社


小倉神社拝殿


菖蒲前が言い残したという言葉を刻んだ

鶴羽根神社


東広島郷土史研究会 井東 茂夫氏の考察による。

2018年4月29日日曜日

第34回東広島を見て歩く会、菖蒲前伝説ゆかりの地を訪ねて-八本松町原めぐり-

  第34回東広島を見て歩く会

菖蒲前伝説ゆかりの地を訪ねて

-八本松町原めぐり-



集合場所
  東広島市八本松町原 原小学校グラウンド
菖蒲前紙芝居
グラウンド内では、歩く会を事前に予習して頂くため
様々な解説を行っています。
菖蒲前紙芝居
分かり易く菖蒲前を説明しています。

コースの概要
今回歩くコースの見どころなど説明しています。
コース概要案内

井東氏による菖蒲前伝説移り変わり
広島市東区の鶴羽根神社は菖蒲前ゆかりの神社として
紹介されている
菖蒲前 鶴羽根神社考察はこちら

菖蒲前伝説移り変わり
三つの速度で歩くグループにわけました
できるだけ自分のペースにあった歩き方を
してもらうためグループをわけました


来賓各位
会長挨拶

祝辞


ラジオ体操
受付



スタート
自衛隊原村演習場兵舎前を通って
第1関所では関係者が押印など対応に
おわれています

冠木門は担当団体の自作です。
会を毎年盛り上げてくださいます。

第1関所 円福寺 通行手形の押印におわれます

円福寺は、菖蒲前の冥福を祈る為の
小倉神社が名を変えたもので
没後800年以上たった今も
地元の方が守っています。

位牌などがある仏壇

西妙(菖蒲前)像

涅槃図


菖蒲前位牌
位牌には二位とあります。
帝の傍にいた方ですので
頼政の三位よりうえだったんですね
位牌には菊の紋章があしらわれています。
毘沙門立像
円福寺の横にある毘沙門堂に
安置されている像です。

自衛隊演習場内をあるく
第二関所 小倉神社
小倉神社解説

小倉神社参道

タブノキ解説

小倉神社階段

最期の階段

小倉神社拝殿で解説

小倉神社で菖蒲前伝説を聞く

菖蒲前御墓
自衛隊演習場内を歩く

いざ雷八幡神社へ
第3関所雷八幡神社
参道

雷八幡神社解説
景山英俊先生の説明

歌碑・石碑解説
第3関所 雷八幡神社

拝殿内の三十六歌仙説明

沢山の絵馬の解説

第4関所へ向かう

第4関所 原郵便局


農業技術センター原郵便局の変遷解説

第5関所 教順寺


ハーブティーのご接待いただきました。
皆さんしばしの急速に
ほっとされていました。
黙霖の書など解説

疎開感謝の碑解説

説明員により見どころの案内



江戸時代の住職 雲幢(うんどう)師の墓

雲幢師の解説
三業惑乱の終結に力をそそがれた

幕末の勤皇僧 宇都宮黙霖が
かかれた書
幻華とは雲幢師の号で
幻華遺跡法城とは
雲幢師が仏法のため働かれた場所であるという意味でしょうか
いよいよ最後原小学校にもどります
校舎には壁画が書かれました

学校名と菖蒲の前

原小学校では菖蒲前伝説を語り継いで
ゆかれています。総合表現として学習発表会で
発表されています。
菖蒲は学校の校章となっています。
第6関所 原小学校 アンケート記入中


関所では役人役でお出迎え