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2020年9月6日日曜日

戦国時代より今に続く街道

昼原街道
東広島市八本松町原には昼原という地域がある
昼原神社の昼原というは戦国時代毛利元就の時代市が立ち、小早川と手を結び物資の往来が盛んであったという。昼原道が神社の建つところに通っている道で街道の要所要所には宿場ができ市がたったそうだ、三津口・小多田市・昼原市・志和堀市・井原市を経て吉田に至る。市はこの近くの地蔵堂の辺りにあったという。昼原市に商売の繁盛を願い胡社を祀った。この昼原神社がその胡社だ、「人を見るなら原町(昼原市)で衣装を見るなら堀の市(高屋町)といわれるほど繁盛ぶりがうかがえる」、原村史より
現在の昼原神社は、道路拡張により位置が、かわっている(原村史編纂当時)
雷八幡神社末社。明治4年神社明細帳に昼原社 弥津波能売神(故昼原水神)、恵美須社 
 事代主神(故昼原恵美須社)とあり、いつのころからかこの2社が一つに祀られている。
由緒記によると国郡志書出帳に曰く、「昼原恵美須社神殿あり」寛政12申改神社21社書上帳に曰く、「一社胡子神社あり」弘化3年午七月御本所御役所へ.書上に曰く、「末社14社の内胡子神社あり」古老口碑「当社は古へ毛利元就に御用魚を奉る通行筋、即ち昼原という所に魚市場を開きこの所より吉田城へ送る。依ってこの所を昼原市という。この時毛利元就当市に胡子の社を建立せり」(坂本京市氏談)
昼原市は牛馬市場を併設、行商人も加わり、経済発展力を備えた。後西の武田と解けて広島湾への便ができ、三津口・吉田間のルートは不要となる。
原村史編纂当時の昼原街道

現在の昼原街道





原村史より地図上のBが昼原街道
昼原神社・原町地蔵堂が街道沿いにある
原町地蔵堂からAの道を左(西)に下ったところに馬橋が架かる。


昼原神社と境内の山林

昼原神社(胡社・恵飛須社)
昼原神社は元々水神を祀っていた所に恵飛須さんを
祀ったのだという。1550年頃

昼原街道のことを記録した石碑
原村史に記述された内容が彫られている。

原町地蔵堂 左に見える道が.昼原街道手前が黒瀬方面、写真上部が雷八幡神社から志和堀、吉田へと向かう

原町地蔵堂に安置された石彫の地蔵尊座像

昼原街道との交差点を原町地蔵堂があり西に下ったところに
温井川に掛かる馬橋がある

現在の馬橋から下河内田を望む。
馬橋から下河内田を望んだ現在

橋の欄干に彫られた馬橋の名前

橋の欄干に彫られた馬橋の名前



2019年4月5日金曜日

神機隊士の名前を確認のため武田正視先生にご相談

東広島の歴史事典の名簿にない神機隊士が見つかり武田正志先生にご相談に伺った。

色々な文献から隊士名を集められているが全てではないという。

いつものように細かい関連性をよどみなく
説明される。武田先生(92歳)

錦の御旗
4月30日宮城県と東京から三名、神機隊士の墓を訪ねて来られることをご報告。
予定報告
上河内 後藤仁三郎(第二隊 仙台城から 函館 五稜郭遠征)
西条町助実 加藤常太郎(第一隊 現在ご子孫の方不明 管理 松原さん案内 )
上三永 藤原春鵲(医師 応変隊から神機隊へ 待機隊)
西条 教善寺 庫裏 八条原城 文武塾講堂)
八本松町原 為本 造賀善太郎(第一隊)
八本松町原 宮東 宮崎三左衛門(原村史に記載 西南戦争にも出兵)
八本松町吉川 吉川逸平

志和町 西蓮寺(吉本氏 近藤氏と落ち合う)
吉川さんより情報 西蓮寺近所に ひょうどうさん宅に隊士の墓あり 
八条原城
志和町内の隊士の墓
以上で、宮崎三左衛門を原村史に記載があり同時に経緯をご自分でまとめられていること説明。


宮崎三左衛門隊士墓

原村史に宮崎三左衛門隊士ながあり他にも隊士の名前がある 
子孫のかたも神機隊の記事を集めておられ
菅原家から別れ宮崎姓を名乗ったことを
戸籍から調べられている



2018年5月12日土曜日

八本松会 吉川臨地研修

八本松会 吉川臨地研修 5月12日10:00

吉川 多聞院西福寺集合


経塚


宇都宮黙霖の墓




宇都宮黙霖の墓

多聞院 西福寺

筒島八幡神社
吉川村 元村社

焔硝屋敷跡

解説 焔硝とあるが年代的に火薬を
あつかっていたとは考えにくい



屋敷を県道が分断

豊穣池 向こうの山は砥石山

槌山城登山口

解説

入口

コース案内


毘沙門堂

左毘沙門天 中阿弥陀如来 右弘法大師






2017年11月12日日曜日

八本松会で、八本松駅周辺を調査して巡りました。

八本松会で、八本松駅周辺を調査して巡りました。
2017.11.11 13:30集合
教育委員会発行のガイドを参考に巡りました。
目的は、屋外の文化財が今も存在するか
確認する調査の為です。
出席人数 8名
2台の車に分かれて目的地に向かう。

集合場所、八本松地域センター横の八本松歴史民俗資料館
にある板碑2基を確認しました。
永沢寺跡
荒れるにまかせるまま
八本松西のミスターMax横の永沢寺の供養碑 天正15年とあり、永沢寺がここに移る以前からあったという。
永沢寺は既に廃寺となり取り壊されている。草にうもれて供養碑を発見するのは困難をきわめた。
梅木神社
正力 梅木神社古墓
正力 田房古墓
田房ダムを上がった山にあり、広い場所にある、かつて高屋東から八本松駅へ向かう道が前を通っている。祠や墓が建てられたのも道のほとりである。
虚空蔵山 中央の頂上付近に、大岩が見える古代には神事が執り行われたという。
現在は、ふもとにある岩蔵神社の御神体となっている。

篠の岩蔵神社、虚空蔵山の岩蔵を御神体とする。

並滝寺池 黒瀬川の源流 市民の憩いの場となっている。
正力 光堂寺観音堂とアカガシの巨樹

お堂の中には室町期の位牌や聖観音が安置されている。

正力 地蔵堂 清滝へ向かう目印ともなっている。

地蔵堂の地蔵、蓮華座に座っている珍しい石造。
本日、目的とする文化財を確認することができたが、在れるままで放置しているものもあり、周辺の整備が必要と思われるとおろもあった。

2017年9月17日日曜日

八本松会がありました。原地区の史跡文化財紹介と辿ってみました。

第8回八本松会 
テーマ『原地区史跡文化財紹介』10時~11時半
場所 八本松地域センター 8名出席
講師 松浦 学 昨年11月に原を歩いた内容を改めて発表、午後から実際にコースを辿り、関所やトイレの確認をしました。
コース巡り 10人出席


小倉神社入口歌碑
小倉神社は菖蒲前を祭神とする

神機隊士の墓

教順寺 盃状穴のある手水鉢