神機隊 加藤常太郎隊士の墓を訪ねました。
平成31年3月14日幕末に戊辰戦争で戦った 芸州広島藩の諸隊 神機隊士の墓をたずねました。
神機隊とは幕末の芸州広島藩の諸隊(藩の正規軍ではない農民などの民兵が中心となって結成された部隊)
備中、備後から京都鳥羽、江戸上野で彰義隊などと戦い福島県の浜通りを連戦し仙台城を無血開城し入城。
場所 東広島市西条町助実
江戸時代の旧山陽道にほど近い地に隊士の墓が建っていました。
子孫の方は地元にはいらっしゃらないようで、地元の方が大切に守ってくださっていました。(個人の農地の中にあり、猪よけの電気柵の中にあり勝手に訪問は出来ません。)
郷土史研究会の会員と管理者の方と自分とで3人で訪ねました。
周囲には旧山陽道があり、西条四日市の宿場の郊外で近くには丸小山があります。
そばには丸山神社と丸山神社古墳群があります。
2 件のコメント:
土地主の方がちょうど一年前に小高い山の伐採作業か何かしたら墓石が見つかった。見たら加藤家の神機隊のお墓だった。
家の方に?尋ねたが死亡により途絶えたのか? 分からないとのこと。なぜここだけ高いのか、そして見晴らしは良いが、誰もお参りする人がいないのか?最近山に用事があって このお墓を私も見つけた。その場所は普通に獣道から入ることもでき、周囲には近所の人のお墓があるが、神機隊のお墓であることは最近発見されるまで誰も知らなかったらしい。
なぜ木に埋もれてたのか?
なぜここに何十年も忘れ去られたのか?
今まで何も知らず背の高いポツンと立つ小高く大きな森林を不思議に眺めて普通に暮らしてた自分も悪いと思った。
これから地域の一員として 知ってる者でも知らない者でも
今からでも遅くないのでお花をお供えしたり掃除したりこれからも大切に管理したいです。
加藤友三郎の親戚に聞けば、戸田建設の大谷家と千葉の別家の墓の人が移動した理由の
説明が聞けると思います。
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