第3回の志和会開催
参加者/天野会長、蔵楽事務局長他 高屋、八本松、西条から1名づつ、志和の会員が6名、西志和自治協より2名の、13名
集合場所/西志和コミュニティハウス
日時/10月30日13時30分~15時00分。
西志和コミュニティハウス |
内容
1.吉本会長より、古墳の所在地をプロットした資料配布、次回この古墳を探すこととする。
2.その前に一度下見も必要ではないかとのことで、詳しい今田さんとスケジュールを調整すること。
3.郷土史会会員でもある、光源寺住職堀隆史氏より、光源寺の歴史についてお話し頂く。
古文書をもとに、寺の本堂、庫裏がいつ頃出来たかなど。
江戸時代の宗門改め、庶民の旅の手形はお寺で発行していたなど興味深い話であった。
過去帳は宝永年間(1704年)からあるそうです。しかし今は個人情報などがあり閲覧は、難しくなっているとの話であった。
光源寺の歴史
生城山と号す、行基菩薩の弟子円空が724年創建
真言宗だったのを、室町時代初期に真宗に改宗、当代で43代目。
29世(真宗で7世)は石山合戦(今は大阪合戦という)で討ち死にされた。
珍しい物として、葬儀に行くとき使用の駕籠がある。痛みが激しかったものを修復。
駕籠をおく置き石なるもがあり、何かの時に3つに割れたとか。
生城山の山号の額は、庄屋黒川家の娘さんが9歳とき書いたもの。
この天才少女は13歳で亡くなったそうです。
約一時間の話のあと質疑応答があり3時15分に終了した。
記/國永
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