いつも40人程度の参加があり、会場もソーシャルディスタンスを考えた100人程度の会場を確保する必要があり、会場さがしも苦慮していました。
令和2年7月例会
とき、令和2年7月25日(土)場所、東広島市西条町下見、下見福祉会館
出席者 38名 内2名見学者
1.研究発表Ⅰ、「太平洋戦争と三井造船所・安芸津干拓」二宮 康成氏
2.研究発表Ⅱ、「近世芸備地方の俳諧(賀茂郡を中心)」浮田 一民氏
3.連絡・報告
1).令和2年郷土史展
令和2年12月9日~14日の間、くらら1階の市民ギャラリー
2).秋の臨地研修会は中止になりました。10/28予定していました。
3).県史協大会 11月14日(土)豊栄町 賀茂北高校
4).原爆展 8/1~8/6 西条西本町 サンスクエア(東広島文化センター)2階
原爆被爆資料展示室にて
5).書籍の販売
①.西条地歴ウォーク
②.教善寺文書、御国法諸書附控
会場内は座る位置を開けて |
司会者も会長挨拶もマスクをつけて |
1.研究発表Ⅰ 二宮 康成氏
三井造船は国策としてタンカーや運搬船を造る必要があり 遠浅の浜を持つ安芸津が干拓地として選ばれた。 |
赤く囲んだ場所が三井造船所として干拓された場所 |
太平洋戦争が始まるまでの石油の供給先 圧倒的にアメリカに頼っていたことがわかる。 しかし、そのアメリカによって石油の輸入が絶たれ 太平洋戦争が始まる、多くの人は最初真珠湾攻撃が 始まりと思っているが同時に遠くはなれて東南アジア に、陸軍が石油の確保をしている。太平洋戦争が石油を 確保するための戦争だったことがわかる出来事です。 |
戦争直前の御前会議で企画院総裁が発言している。 |
戦後は引揚者や焼きだされた人々の労働力を活用する為、干拓事業はされて、農地や工業用地を作っていった。
俳諧や連歌は日本で古くから親しまれているものです。 |
連歌の始まりは日本武尊だといわれています。 |
江戸時代、文化・文政年間になると町民文化が花開き、白市や西条では僧侶や商人・庄屋・医師など多くの人々が俳諧に親しむようになる。野坂完山や旧石井家の主人、吉川の竹内家の当主の名前などが残された居ます。
3.5).書籍の販売 各1000円です。
①西条地歴ウォーク
②教善寺文書、御国法諸書附控
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