2020年7月25日土曜日

令和2年に成っての初めての月例会がありました。

東広島郷土史研究会で令和2年になって自粛していた毎月開催する月例会を行いました。
いつも40人程度の参加があり、会場もソーシャルディスタンスを考えた100人程度の会場を確保する必要があり、会場さがしも苦慮していました。

令和2年7月例会

とき、令和2年7月25日(土)
場所、東広島市西条町下見、下見福祉会館
出席者 38名 内2名見学者
1.研究発表Ⅰ、「太平洋戦争と三井造船所・安芸津干拓」二宮 康成氏
2.研究発表Ⅱ、「近世芸備地方の俳諧(賀茂郡を中心)」浮田 一民氏
3.連絡・報告
 1).令和2年郷土史展
  令和2年12月9日~14日の間、くらら1階の市民ギャラリー
 2).秋の臨地研修会は中止になりました。10/28予定していました。
 3).県史協大会 11月14日(土)豊栄町 賀茂北高校
 4).原爆展 8/1~8/6 西条西本町 サンスクエア(東広島文化センター)2階
  原爆被爆資料展示室にて
   5).書籍の販売
  ①.西条地歴ウォーク
  ②.教善寺文書、御国法諸書附控


会場内は座る位置を開けて

司会者も会長挨拶もマスクをつけて

1.研究発表Ⅰ 二宮 康成氏
三井造船は国策としてタンカーや運搬船を造る必要があり
遠浅の浜を持つ安芸津が干拓地として選ばれた。

赤く囲んだ場所が三井造船所として干拓された場所

太平洋戦争が始まるまでの石油の供給先
圧倒的にアメリカに頼っていたことがわかる。
しかし、そのアメリカによって石油の輸入が絶たれ
太平洋戦争が始まる、多くの人は最初真珠湾攻撃が
始まりと思っているが同時に遠くはなれて東南アジア
に、陸軍が石油の確保をしている。太平洋戦争が石油を
確保するための戦争だったことがわかる出来事です。

戦争直前の御前会議で企画院総裁が発言している。
実際の干拓は1/4しか間に合わず、造船所もその1/4の場所に造られ、予定していた大きさの船の半分ほどで、造る技術者もおらず、浮かんで物さえ運ばれればいいような船しか造られなかった。造られた運搬船はただの一隻だけで、のちに鉄もないしコンクリートの船の造船になっていったが、完成せず、太平洋戦争は終わった。
 戦後は引揚者や焼きだされた人々の労働力を活用する為、干拓事業はされて、農地や工業用地を作っていった。

  2.研究発表Ⅱ、浮田 一民氏

俳諧や連歌は日本で古くから親しまれているものです。


連歌の始まりは日本武尊だといわれています。
江戸時代、文化・文政年間になると町民文化が花開き、白市や西条では僧侶や商人・庄屋・医師など多くの人々が俳諧に親しむようになる。野坂完山や旧石井家の主人、吉川の竹内家の当主の名前などが残された居ます。

3.5).書籍の販売 各1000円です。

①西条地歴ウォーク


②教善寺文書、御国法諸書附控





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