2019年3月24日日曜日

維新に活躍し西南戦争で戦った芸州広島 神機隊士 後藤仁三郎隊士の墓を訪ねて

幕末、明治維新に活躍された神機隊の隊士の墓にお参りした

平成31(2019)3月23日
東広島市河内町上河内に働いた芸州広島
諸隊の神機隊の隊士 後藤仁三郎(ごとうにさぶろう)の墓に
お参りした。
後藤仁三郎の子孫の方にご案内をいただいた。
登橋の旧橋のたもとで落合い。山中500mほど上がったところに
後藤家の墓所があった。
穂高健一先生の著書の依頼をうけお渡ししたご縁で、東広島市
郷土史研究会の会員となっていただいた同氏からご先祖が神機隊士
加藤仁三郎であることを聞いていて是非墓参りさせていただきたい
ことを快く了承いただき実現した。
逸話として後藤仁三郎隊士は明治になってからも袴を履き刀を差し馬に乗っていたという。
真ん中が後藤仁三郎の墓
左は其の功績を刻んだもの
左は妻の墓

右側面に後藤仁三郎とある。
明治二十七年一月三十一日なくなったとある、
 後藤仁三郎隊士は東北出軍第二隊で慶應4年7月26日奥州広野の戦闘に於いて多数の犠牲者を出した第一隊の要請により、その補充隊として同年8月20日正午志和の屯営を出発し、翌21日夜11時和船にて江波港を出帆、同28日大阪中之島上陸、陸行して江戸を経て10月15日亘表に到着、以後仙台周辺の警備に従事、翌明治2年8月15日仙台出発、9月5日江波港上陸した部隊である。 東広島の歴史事典 <武田正視>          
二番中隊 隊長補についている。                       

慶應三年9月芸藩神機隊に入隊とある
功により士分となり、二人扶持を賜ったことが
刻まれている
出兵した隊士は苗字帯刀、袴の着用、生涯二人扶持を賜っている。
左側面には明治十一年七月西南の役に従軍とある

平成元年に建てられた神機隊120年記念碑

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