東南は中島、西北は大畠、南東は宮領、北東は 杵原
丘陵地先端の比高20mに築かれた小さな山城跡。
築城時期不明、応仁の乱で鬼平賀と異名をとった13代平賀弘宗の弟宗仲は大畠氏を名乗っていますので古慈喜城に入っていたこと、寺領であった時期もありこじきの名は、そこからきた名称ではないかとおもわれている。
こじきとは
- 本来は仏教用語で「こつじき」と読む。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。(Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F)より引用)
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