右の種子(しゅじ)は胎蔵界大日如来の慈悲を左の種子は金剛界大日如来の智徳を現す。
藤原光叶朝臣(あそん)とあるのは、名井家12代光叶の事であり室町時代高屋保地頭平賀氏の分家で家老入野の竜王山(別名中山)の城主でもあった。平賀氏が藤原氏の出であるから、藤原4朝臣とした。
享禄三年(1530)白山城主平賀弘保は大内に、頭崎城主平賀興貞は尼子方につき、親子相分かれて争っており享禄元年大内義興が死去した後も大内義興の平賀氏に対する圧力は厳しく苦慮していた折でもあり、家老名井光叶が自刃の理由もその辺にあったようでる。
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