2019年1月27日日曜日

寺家城跡

寺家城跡(じけじょうあと)

場所 東広島市西条町寺家
城の内と呼んでいた。今は山林に成っている。
やや高い所に、東西48m・南北72mの長方形で空堀・土塁をめぐらせた土居屋敷形式のもの、平賀氏の家臣原田氏が在城したと伝える。
1989年(平成元)国道2号バイパス(現国道2号)建設に伴い、南西の一部分が発掘された。
堀の底面から備前焼大甕の破片が出土、城館は15世紀後半から16世紀後半まで昨日していたと思われる。<飯田米秋>東広島の歴史事典-東広島郷土史研究会編


2019年1月26日土曜日

平成31年1月例会が行われました。

1月例会 

場所 東広島市役所北館1階 市民協働センタ―

とき13時半~16時

※画像をクリックすると大きくなります。
研究発表1 「鳥居の雑学」船越雄治氏



研究発表2 「平賀氏と御薗宇城」友安正彦氏

住宅のすぐ裏手が御薗宇城

平賀氏と高屋保について

蒙古襲来に備えて

御薗宇城俯瞰

平賀氏の城

ワンポイント講座 天野浩一郎氏
           東広島の地形と水辺環境
安芸津町のホボロ島 ナナツバコツブムシにより島が無くなろうとしている。

歩く会・寺家実行委員会 2月4日(月)午前10時~コジマヤ
      資料班会議 2月18日(月)午前10時~コジマヤ
その他

2019年1月20日日曜日

ゆうりんさん(綿林神社)古代山陽道 ゆかりか?

寺家駅の西北にある、綿林神社

ゆうりんさん (綿林神社) 古代山陽道の木綿駅(ゆうえき)が近くにあったのではないかという説があります。近くにあった道標に夕作(ゆうつくり)とあります。境内に道標は移設されている。
木綿(ゆう)とは木綿(もめん)ではありません。
楮(こうぞ)のことで、楮を原料とした布をいいます。
木綿(もめん)が日本に伝わっていないころは、様々な植物が布の材料になっていました。楮もその一つです。
神道において神事に使われます。
幣帛や紙垂(しで)に使われます。現在では紙垂は紙で作られます。

住宅地の中に木立が



道標からとった拓本



道標には夕作の文字が









2019年1月16日水曜日

平泰寺 板碑 蔵田房信位牌 供養塔

平泰寺 板碑 蔵田房信位牌 供養塔

(平成31年 東広島を見て歩く会 コース)
東広島市西条町寺家
概要 臨済宗妙心寺派。山号は豊崎山、本尊は聖観世音菩薩、本尊は行基の作といわれている。開基は詳かでないが、治承年中(1177~81)の草創といわれ、又大永年間(1521~8)鏡山城代蔵田備中守房信が中興したと伝えられ、又後荒廃したという。宝暦七年(1757)広島興禅寺の住職の法孫定田が入って再建した。(東広島の石造物東広島郷土史研究会版)







平泰寺阿弥陀種子板碑
(へいたいじあみだしゅじいたび)
年 代 南北朝時代 暦応二年(1339)  
形 状 花崗岩 高さ98cm 横30cm 縦15cm形 式 整形板碑             
種 子 キリーク・阿弥陀如来(荘厳体)    
銘 文 暦応二年 行□           
平泰寺一石五輪塔 
(へいたいじいっせきごりんとう)
年代 不明           
形状 高さ76cm 横24cm 縦25cm
銘 文 無銘          

蔵田備中守供養塔
 (くらたびっちゅうのかみくようとう)


所在地 東広島市西条町寺家
年 代 室町時代 大永三年(1523)
形 状 花崗岩 高さ113cm ヨコ50cm タテ20cm
   大永三年六月二十八日
概 要 蔵田備中守房信は西条を本拠とする武士で、
    実名を房信といい、周防大内の代官として
    鏡山城に在城していた。大永三年(1523)六月、
    出雲尼子氏に鏡山城を攻められ、善戦したが
    味方の裏切りにあい、他の城兵を助けるため
    に切腹したと伝える。
この碑は元は西条東の田の溝に掛かって橋に使われていたが
ここ平泰寺へ移された。




蔵田房信 供養塔

2019年1月6日日曜日

西条柿発祥の長福寺の鎮守社 諏訪八幡神社

西条柿発祥の長福寺の鎮守社 諏訪八幡神社

1235年(嘉禎元)八幡宮を鎌倉から勧請、
その使者の姓をとり諏訪八幡とする
 









西条柿の発祥の地 長福寺 平成31年4月29日 東広島の史跡文化財を見て歩く会 予定コース

西条柿の発祥の地 長福寺
平成31年4月29日 東広島の史跡文化財を見て歩く会 予定コース
文化財案内看板

長福寺跡
神亀年中(978~983)の草創と伝えられる

西条柿伝承地
 寺家の柏尾家に収蔵される真言宗長尾山医王院長福寺の縁起に、1238年(暦仁元)僧良信が本尊薬師如来の霊夢により、弟子信常を鎌倉の永福寺へ遺して求めた霊種を寺内に植えたのが西条柿の原種とある。
また1819年(文政2)の「国郡志御用郡辻書上帳(賀茂郡)」によると、西条柿は当郡の名産で江戸中期つるし柿などにして方々で珍重されていたことが解る。
 鎌倉幕府の4代将軍頼経の子が疱瘡になり、長福寺の柿を食したら完治したと伝えています。

木造薬師如来坐像 広島県指定重要文化財
木彫十二神将立像 東広島市指定重要文化財


2019年1月5日土曜日

平成31年1月5日新年登山 生城山

平成31年1月5日新年登山 生城山(485m)
毎年いろんなところに登山します。城跡だったり寺社だったり
登山後 新年会を行いました。
聖武天皇が遷都しようとしたところ
志和盆地の真ん中にこの山が出現しました。
それで遷都が出来なくなりました。
生城山城跡 東天野氏の居城があったところです。
1521年~(大永年間)天野興定の居城と伝える。
1978年(昭和53)11月15日市史跡指定
毛利元就の7男が養子に入りました。天野元政
東麓にある光源寺が居館跡と言われる。

撮影 井川良成