2019年1月16日水曜日

平泰寺 板碑 蔵田房信位牌 供養塔

平泰寺 板碑 蔵田房信位牌 供養塔

(平成31年 東広島を見て歩く会 コース)
東広島市西条町寺家
概要 臨済宗妙心寺派。山号は豊崎山、本尊は聖観世音菩薩、本尊は行基の作といわれている。開基は詳かでないが、治承年中(1177~81)の草創といわれ、又大永年間(1521~8)鏡山城代蔵田備中守房信が中興したと伝えられ、又後荒廃したという。宝暦七年(1757)広島興禅寺の住職の法孫定田が入って再建した。(東広島の石造物東広島郷土史研究会版)







平泰寺阿弥陀種子板碑
(へいたいじあみだしゅじいたび)
年 代 南北朝時代 暦応二年(1339)  
形 状 花崗岩 高さ98cm 横30cm 縦15cm形 式 整形板碑             
種 子 キリーク・阿弥陀如来(荘厳体)    
銘 文 暦応二年 行□           
平泰寺一石五輪塔 
(へいたいじいっせきごりんとう)
年代 不明           
形状 高さ76cm 横24cm 縦25cm
銘 文 無銘          

蔵田備中守供養塔
 (くらたびっちゅうのかみくようとう)


所在地 東広島市西条町寺家
年 代 室町時代 大永三年(1523)
形 状 花崗岩 高さ113cm ヨコ50cm タテ20cm
   大永三年六月二十八日
概 要 蔵田備中守房信は西条を本拠とする武士で、
    実名を房信といい、周防大内の代官として
    鏡山城に在城していた。大永三年(1523)六月、
    出雲尼子氏に鏡山城を攻められ、善戦したが
    味方の裏切りにあい、他の城兵を助けるため
    に切腹したと伝える。
この碑は元は西条東の田の溝に掛かって橋に使われていたが
ここ平泰寺へ移された。




蔵田房信 供養塔

0 件のコメント: