東広島市八本松町原には昼原という地域がある
昼原神社の昼原というは戦国時代毛利元就の時代市が立ち、小早川と手を結び物資の往来が盛んであったという。昼原道が神社の建つところに通っている道で街道の要所要所には宿場ができ市がたったそうだ、三津口・小多田市・昼原市・志和堀市・井原市を経て吉田に至る。市はこの近くの地蔵堂の辺りにあったという。昼原市に商売の繁盛を願い胡社を祀った。この昼原神社がその胡社だ、「人を見るなら原町(昼原市)で衣装を見るなら堀の市(高屋町)といわれるほど繁盛ぶりがうかがえる」、原村史より
現在の昼原神社は、道路拡張により位置が、かわっている(原村史編纂当時)
雷八幡神社末社。明治4年神社明細帳に昼原社 弥津波能売神(故昼原水神)、恵美須社
事代主神(故昼原恵美須社)とあり、いつのころからかこの2社が一つに祀られている。
由緒記によると国郡志書出帳に曰く、「昼原恵美須社神殿あり」寛政12申改神社21社書上帳に曰く、「一社胡子神社あり」弘化3年午七月御本所御役所へ.書上に曰く、「末社14社の内胡子神社あり」古老口碑「当社は古へ毛利元就に御用魚を奉る通行筋、即ち昼原という所に魚市場を開きこの所より吉田城へ送る。依ってこの所を昼原市という。この時毛利元就当市に胡子の社を建立せり」(坂本京市氏談)
昼原市は牛馬市場を併設、行商人も加わり、経済発展力を備えた。後西の武田と解けて広島湾への便ができ、三津口・吉田間のルートは不要となる。原村史編纂当時の昼原街道 |
原村史より地図上のBが昼原街道 昼原神社・原町地蔵堂が街道沿いにある 原町地蔵堂からAの道を左(西)に下ったところに馬橋が架かる。 |
昼原神社と境内の山林 |
昼原神社(胡社・恵飛須社) 昼原神社は元々水神を祀っていた所に恵飛須さんを 祀ったのだという。1550年頃 |
昼原街道のことを記録した石碑 原村史に記述された内容が彫られている。 |
原町地蔵堂 左に見える道が.昼原街道手前が黒瀬方面、写真上部が雷八幡神社から志和堀、吉田へと向かう |
原町地蔵堂に安置された石彫の地蔵尊座像 |
昼原街道との交差点を原町地蔵堂があり西に下ったところに 温井川に掛かる馬橋がある |
馬橋から下河内田を望んだ現在 |
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