2020年8月19日水曜日

広島に75年は草木もはえぬといった説の経緯

広島に原爆が投下されて2020年(令和2)8月6日で75年よく耳にしたり目にする話

75年草木も生えぬといったことば、 でも、立派に復興どころか発展している被爆地広島。 いったいだれがどういった経緯でいった説なのだろうか。 気になるのでちょっと調べてみた。 検察してみるとひとつのPDFがみつかった。
 http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hbg/file/12141/20170601143502/kr02-02.pdf 

 URLからみると、広島大学のURLだ。興味のある方はダウンロードして読まれることを お勧めしたい。 被曝の. 実相という観点から、爆心地 500 メートル内の「奇跡の生存 78 人の記録」を 40 年以上に. わたり取り組んで来た広島大学名誉教授鎌田七男博士 ( 元広島大学原爆放射線医科研究所長 )と書かれている。
 そのPDFによると「原爆製造計画である所謂「マンハッタ ン計画」(Manhattan Project) に関わったハロ ルド・ジェイコブソン (H.Jacobson) 博士の談 話として 1945 年 8 月 8 日付けの < ワシント ンポスト (The washinton post)> 紙上に掲載 されたものである。 
 ところが、この日、アメリ カ陸軍省 (United States Department of the Army) は同じ「マンハッタン計画」を主導し た J.R. オッペンハイマー (Oppenheimer) 博 士の発言を引用して同記事の内容を否定し、ま た同時にジエイコブソン博士も自身の発言を取 り消した。なんとも不可解な経緯」と、書かれている。
  まあ、説は唱えたものの、取り消したものらしい。 いずれにせよ75年どころか、被爆した台地には、世界的な都市広島がある。 しかし被爆者の肉体的、精神的な傷は75年経った今も、癒えることはない。
  広島市内で工事をしていると、地面の下から多くの遺物が見つかることがある。 なかには、寺だった場所から大量の墓石が見つかることがある。 この数年、平和公園内を発掘され、被爆当時の広島市内の様子が垣間見られている。 平和公園内の森の中に、こんな場所があった。
撮影は2016‎年‎5‎月‎30‎日にしたものです。
解説板によると「慈仙寺内にあった広島藩浅野家の御年寄 岡本宮内の墓で笠にあたる相輪が飛び崩れたもの」とあります。



ここで、ガイドさんがこどもたちに、公園に掘られた穴の中に立って、案内されてきたこどもたちに。「ほらみなさん、ここに降りて立ってご覧、この地面が昭和20年8月6日の原爆が落とされた時の大地なんだよ、何か聞こえますか?何か感じますか?」
このブログを見てくださった方、是非平和公園で、この場所を実際に見て感じてください。
東広島郷土史研究会 原爆資料保存研究会

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