2016年11月27日日曜日

まちの歴史は郷土の文化財 西条酒蔵通り歴史庭園(ヒストリアガーデン)がオープンしました。


 西条酒蔵通りにあった吟古館が東広島市に寄贈され、建物は解体されました。

その吟古館跡に隣接して「西条酒蔵通り 歴史庭園(ヒストリアガーデン)が完成し
東広島郷土史研究会 11月例会でお披露目されました。




左手奥は、吟古館(小島屋)に連なっていた、現在の賀茂鶴一号蔵
この蔵から酒都西条の歴史が始まった。

中央の煙突は、西條鶴醸造の酒蔵の煙突、近代の酒造のシンボル
と言える煉瓦の煙突
この敷地は、江戸時代の四日市宿継立場の跡だった事がわかった。

右は賀茂輝酒造から移された酒船(酒を搾る設備)
左は、サタケかrた寄贈された動力式精米機

偶然見つかった、四日市宿の継場跡
継立場とは、宿場から宿場を荷物を運ぶ馬の
中継場所です。赤い煉瓦が建物手前の広いところに
馬をつなぐところがありました。

竹内文書に残された四日市宿の町並みは、発掘により
その確かさが証明されています。
馬つなぎが、再現されています。

偶然見つかった江戸時代の水路の石垣、中央部がカギに
なっています。辻跡と考えられていたところが、実は江戸時代の
継立場であったことが判明しました。
この歴史庭園は、江戸時代の宿場、西条四日市の重要なポイントであるばかりでなく
のちに西条の酒造産業の始まりともいえる場所でもあります。

木村静彦酒造建物変遷 改装され銀行として使われた時期があった。







サタケによって開発された動力式精米機、この発明によって、西条の酒は質、量ともに向上しおおいに発展をした。

西条の酒造産業に功績のあった人たちの紹介がされている。

四日市宿の役割と解説

宿場での継場の役割を説明される
酒蔵通りにある西条の酒造用の名水

向いは白牡丹酒造天保蔵

歴史庭園の展示配置図

この度、念願の西條四日市宿と明治から発展した西条の酒造産業の始まりについての概要を展示された施設がオープンした。
西条の鮭蔵通りを訪れる観光客にとっても、酒都西条を理解される良い施設ができた。

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