2019年9月18日水曜日

槌山城と槌山合戦

広島県東広島市八本松町吉川(よしかわ) 槌山城(つちやまじょう)標高489m 比高260m 東西400m 南北250m 4つの郭群で構成  南北朝時代西条一族がいたとされるが戦国期は周防大内氏の守護城であった。槌山合戦 天文20年(1551)大内氏の城将たちが籠城、毛利氏は4000の兵で三方を取り囲み攻め落としたと陰徳太平記は伝える。この戦いで大内氏の東西条(とうさいじょう)の支配は終わった。東広島郷土史研究会では槌山合戦の様子を紙芝居にして広く伝えている。現在本丸に通じる登山道は地元有志により整備されている。

史跡・文化財を見て歩く会に集まった参加者
吉川村誌を編纂した時に書かれた挿絵
槌山合戦のイメージ

槌山合戦の紙芝居に集まる参加者

いつでも話に加われるよう全部展示している

麓 登城口から本丸山頂を望む

地元有志により登城コースを整備されている


槌山城全体を麓から望む

本丸山頂から吉川工業団地を望む

本丸山頂 解説版は地元有志により担ぎ
あげられた、基礎のコンクリートは地元消防団有志
によりバケツリレーされたもの




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