第2回郷土史研究会高屋会
12月15日(木)
高屋の地名の発祥、語源などについて話し合われました。
東広島郷土史研究会内の専門研究グループの活動状況をブログで紹介します。古文書研究、巨樹・植物研究,石造物研究、四日市町並研究、山城探訪会、原爆資料保存研究の各グループに加え、西条、志和、高屋、八本松の4地域に交流会が発足し活動状況が投稿されます。 東広島郷土史研究会 公式サイト:http://higashihiroshimakyoudoshi.web.fc2.com
左手奥は、吟古館(小島屋)に連なっていた、現在の賀茂鶴一号蔵 この蔵から酒都西条の歴史が始まった。 |
中央の煙突は、西條鶴醸造の酒蔵の煙突、近代の酒造のシンボル
と言える煉瓦の煙突
この敷地は、江戸時代の四日市宿継立場の跡だった事がわかった。
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右は賀茂輝酒造から移された酒船(酒を搾る設備) 左は、サタケかrた寄贈された動力式精米機 |
竹内文書に残された四日市宿の町並みは、発掘により その確かさが証明されています。 |
馬つなぎが、再現されています。 |
偶然見つかった江戸時代の水路の石垣、中央部がカギに なっています。辻跡と考えられていたところが、実は江戸時代の 継立場であったことが判明しました。 |
木村静彦酒造建物変遷 改装され銀行として使われた時期があった。 |
サタケによって開発された動力式精米機、この発明によって、西条の酒は質、量ともに向上しおおいに発展をした。 |
西条の酒造産業に功績のあった人たちの紹介がされている。 |
四日市宿の役割と解説 |
宿場での継場の役割を説明される |
酒蔵通りにある西条の酒造用の名水 |
向いは白牡丹酒造天保蔵 |
歴史庭園の展示配置図 |
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Mr.Maxで保管中 |
全住職 戸島行蔵様に解説いただいた。 内陣欄間の龍は1頭で三間にわたり迫力あり 前の本堂消失の際に持ち出され非難していた。 |
三業惑乱で活躍した 住職 雲幢の墓 左は初代 |
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盃状アナ手水鉢 |
幕末の勤皇僧 宇都宮黙霖の書 「幻華遺迹法城」 幻華は雲幢の号 |
小倉神社へ向かう |
幕末の神機隊で戦死した 造賀善太郎隊士の墓原の歴史散歩はこちらからご覧ください。 |
本堂で前住職 戸島行蔵様にお話を伺う。 |
戸島行蔵前住職さまより、教順寺の歴史、雲憧師のこと、そして宇都宮黙霖に ついてお話をしていただきました。 |
三間にわたる一頭の龍の欄間は珍しい。本堂が火災にあった時に持ち出され
再建時に取り付けられたものという。
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盃状穴のある手水鉢 子宝などの願いや様々な願いを込めて手水鉢の
縁や底に穿たれた凹みを盃状穴と呼びます。前住職様のお話によると
正力の方が自分たちで運んだといわれていたということで、他から運ばれ
てきたもののようです。
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昭和20年広島高等師範学校付属中学1年生が、疎開先の原で受けた恩に対し 感謝の気持ちを石碑として残されたもの。アカシア会回生 |
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「天地育萬物」(天地(自然)は、萬物(あらゆる物・
全ての物)を育てる(産みだす))、
「神意創千世」(神意は千年の世を創る・神様が
私たちの生活を創ってくださっている・
人間古いことばかりやっていては、活きていくこと
は出来ない、常に新しいものを生み出い
創り上げていかなくては成り立たないのだという
事を言っておられました。)
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多くの絵馬が拝殿に掲げられている、36歌仙の
額が31枚があり寄進者の屋号があり江戸期の奉納と
思われる。
歌碑2基、句碑2基あり、
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光岡 始(一芽)句碑
「花げんげ子ら走りこみ
はしりこみ(西条町下見、光岡始・俳号:一芽)」
1984年(昭和59)1月。
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神様にひとすじにお仕えする気持ち、これまでのご自身のことをよまれたもの。 社務所から境内に向かう坂道のところに建立されたものです。 |
宮司 景山英俊 歌碑
これまで大きな出来事にあって、横浜でも関東大震災の前に、もどってきて震災にあわなかった。広島の原爆でも船越で訓練をしていて直接原爆にあう事はなかった。そういった大災害に合わずに今の自分はある。そして多くの人々に出会い今の自分がある、とてもありがたいことだ、旭日に向かいそのことを感謝して旭日に向かって拍手をうつということを直接伺いました。
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山本康夫 歌 |
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「姫が池」侍女鶴が、菖蒲前の身代わりとなり入水した池、原の村人は「姫が池」と呼び
今でも菖蒲前や鶴のことを語り伝えている。
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臨済宗妙心寺派 瑞鳳山小倉院圓福寺 一時は廃寺となっていたが、村人の熱意で再興された。 |
圓福寺再建の碑 廃寺となった寺を再興させることが
出来た喜びが伝わる。
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入口には瑞鳳山小倉院圓福寺と書かれている。 小倉神社の流れの寺であることを伝える。 今も菖蒲の前の位牌などがあり、村人は法要を営んでいる。 |
小倉神社遥拝所(神楽殿)、山上の小倉神社は、途中に演習場があり 祭などの時に参拝に行かれないことがしばしばあり、ふもとに建てられた。 |
水戸親四朗頼興の子孫という、水戸民助氏が鳥居を寄進。 |
柱には三戸民助源頼明と記されている。 氏は度々小倉神社を訪れ、自ら作った唄を歌われていたという。 |
毘沙門堂、現在の堂は吉川の毘沙門堂を買い受けたものとされる。 臨済宗妙心寺派 |
小倉神社 禊場横の駐車場の左手に建立された歌碑です。 「ひとさかえ ひとのほろびてゆきたらむ おちばにそそぐひかり みじかし」歌、渡部正則。 |
木の鳥居をくぐり、標柱が立ち石段へと続く坂道。
参道の保護のための葺石なのか、自然石の露出なのか?小倉神社のある山は、
細かな石が堆積されたこのなのか?花崗岩が自然に崩壊したものなのか分かり
ませんが、参道・両脇にと積み上げられたように並んでいます。
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市天然記念物 小倉神社のタブノキ |
タブノキ解説 |
小倉神社 拝殿 |
境内にあがる石の階段の左手にある歌碑。 「笛の音の絶えなば一期 菖蒲前土中ふかく こもりしと ああ 歌 山本節子」 菖蒲前こと西妙尼の最期の言葉を歌ったもの |
幣殿に掲げられた、板碑の歌碑2首
「深林の 匂いたちこもる水辺に 世塵洗われてありぬ一とき」歌、山本康夫
「こえあげて 君のめでたる真情 水の けふも清らに ここに集まる」歌 山本節子
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拝殿に掲げられた絵馬、雨ごいによって降った雨に喜ぶ農民の表情が実に嬉しそうです。 雨ごいによる雨の恵みに感謝した、 源三位頼政公の御神歌、菖蒲前 御神歌とあります。 |
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菖蒲前が詠まれた歌を額にされて奉納されている。 |
解説する西澤氏 造賀さんとは親戚になる |
西澤氏が移した、側面の碑文、造賀善太郎隊士の
功績が彫られている
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かつては境内に、並んで建っていたが、 建て直された際に同じ建物になった。 |
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額には、蓮花山西福寺 稲生神社とある |